稽古中にて

IF未来編~『灰色都市』風唄様とのコラボ~




「あねさま!」





 小さな自分用の竹刀を1人中庭で振り回していたところ、ふと自分の背中にどんっと勢いのある衝撃が走り、思わず祥子しょうこは「おぉぅ!?」と奇妙な声を上げた。

 何が起こったと目を白黒させながら、それでも彼女はゆっくりと振り返る。

 見れば、自分よりも頭一個分小さな御子が、がしっと子供にしては力強く自分の腰に引っ付いているのが見えた。

「ああ、なんだ」と安堵に息を吐き出しながら、ぽんぽんと祥子はその子の頭を叩いてやる。

 自分を見上げてくる小さなその子はぱっと花咲くような可愛らしい笑みを零した。

 何てことはない。自分が世話になっている城主・政宗の1人娘であった。



「姫、どうしたの?」

「どうしたのではございませぬ! 璃桜はあねさまをさがしていたのです!」



 きょとんとしたまま疑問を口にすれば、子供・璃桜姫は可愛らしい頬をぷくっと膨らませて不思議そうにしたままの祥子にそう訴える。

 何故かは分からないが、自分はこの小さな姫君に酷く気に入られていた。

 たぶん、城に自分以外に年の近い子供がそういないからなのだろうと思う。

 もしくは、自分よりも小さな存在が妹代わりのように出来て、祥子がちょっとした姉気分で彼女に接してきたからかもしれない。

 相変わらず政宗のお下がりの袴に袖を通す自分と違い、璃桜姫は可愛らしい羽織物をその身にまとい髪を長くし、まさに良家の「姫君」である。

 可愛がってしまうのも無理はないと思いたい。



「祥子のこと、探しにきてくれたんだ。姫」

「はい!」

「そっか。ありがとう」



 明るく返事をした璃桜姫に思わず顔を綻ばせて、祥子はその場に竹刀を置き、まだ三つでしかないその小さな姫君を抱き上げた。

 この世界に落とされた時よりは多少身体も大きくなり日頃から訓練もしているので、このぐらいの小さな女の子を抱き上げることぐらいは造作もないことである。

 自分が抱き上げると、小さなその子はきゃっきゃと楽しそうにはしゃぐから、思わず祥子は嬉しくなる。

 ああ、やっぱり妹って可愛い。

 接している人間がほとんど成人男性ばかりだった祥子にとって、璃桜姫は本当に可愛くて仕方がなかった。



「まあ、ここにいたのですか」



 ふと、自分がそんな風に彼女と戯れていると、背後から穏やかな女性の声音が聞こえてくる。

 璃桜姫がぱっと顔を輝かせたのを確認した後に、祥子はゆっくりと振り返る。

 見れば、聞こえた声音同様穏やかな微笑みと雰囲気を兼ね備えた1人の女性がそこに佇んでいた。

 思わずその姿に祥子は目をぱちぱちと瞬かせる。



「かかさま!」/「彰子しょうこさんだ」



 そう呼ばれた彼女は「また祥子ちゃんのお邪魔をして」と何処か困ったように微笑んだようだった。

 そう、彼女・彰子こそこの奥州筆頭伊達政宗公の奥方。

 璃桜姫の母君である。

 共も連れないでこんな場所に1人来ちゃっていいのだろうか、なんてことを考えて思わず祥子は首を傾げた。

 まあ、話に寄れば彼女も自分同様、別の世界からこの世界に迷い込んでしまった人間だから、多少はこの世界のルールが当てはまらないのやもしれないが。



「ごめんね、祥子ちゃん。また璃桜が……」

「いいよ。姫、かわいいし」



 近寄ってきてそう申し訳なさそうに口にする彰子に、祥子はふるふると首を振った。

 嬉しそうに自分に頬を寄せてくる璃桜姫を見て、邪魔だと思う方が正直変だと思う。

 すると、彼女は自分の答えに安堵の息を漏らし「ありがとう」と言って、その優しい手で自分の頭を撫でてくる。

 まるで自分のことも娘のように可愛がってくれるこの奥方様も、祥子はとても好きだった。



「……そういえば、祥子ちゃん」



 ふと、そこで彰子はきょとんと目を丸くして自分の足元に転がっている竹刀に目を向けた。

「なに?」と祥子は軽く首を傾げる。



「ここで一体何をしていたの?」



 あまりにも不思議そうにそう彼女が問いかけてくるものだから、祥子は目をぱちぱちと瞬かせた後にあっさりと答えた。



「素振り」

「……竹刀で?」

「うん。振るだけでも、くんれんになるってこじゅろーさんが言ってたから」



 ちょっとだけ誇らしげに言えば彰子は少し目を見張ったようだった。

 何か変なことをまた言ってしまったのだろうか。

「あねさまかっこいい!」と自分の腕の中ではしゃぐ姫をあやしながら思わず首を傾げると、はっとした彼女が苦笑を零す。



「んー……それは、いいことだけれど」

「ダメ?」

「いえ、駄目ってことはないわ。でも、折角もう天下を争うような時代は過ぎたのだし、もうちょっと女の子らしいことしたらどうかしら?」



 例えば着物とかね、とふふっと笑って自分の頭をぽんぽんと叩く彼女に祥子はきょとんと目を丸くする。

 まあ、それはそうなのかもしれないが。

 それでも祥子はふるふるっと首を横に振った。

 今度は彰子が「祥子ちゃん?」と首を傾げる。



「彰子さん」

「何かしら?」

「争いってね、いくさが終わってもなくならないものだよ」



 自分がそう口にした瞬間、彼女は驚愕に目を見張ったようだった。

 確かに、大きな戦そのものは無くなったのかもしれない。

 だが、完全に争いのない世界なんてあるはずもないのも確かだ。

 それは、自分達の元いた世界でもそうだったから。

 祥子はそのまま続ける。



「だからね、祥子はつよくなって争いから、おーしゅーをまもるの」

「祥子ちゃん……」

「政宗様もこじゅろーさんも彰子さんも姫も皆も、ずっとわらっててほしいから。だからつよくなるよ。みんなが祥子をまもってくれたぶん、祥子もみんなをまもるんだ」



 小さくて力がないと嘆く自分なんて御免だ。

 女であるからそれほど強くはなれないかもしれないけれど、でも自分に出来うる限り強くなって自分の大切な周りの人達だけでも護りたい。

 それが、今の祥子の将来の目標だった。

 大きくなったら政宗や姫に仕えるのだ、と誇らしげに笑えば彰子は困ったような、それでいて感嘆したように息を吐いて微笑む。



「本当に……あなたは強いね」

「そんなことないよ。まだ全然ちっちゃいし」

「そういうことを言ってるんじゃないの」



 変なところ天然なんだから、と彼女はぽんっと祥子の頭を撫ぜた。

「おろ?」と首を傾げて璃桜姫を見ると、彼女も不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせている。



「でも、それはそれとして」

「え?」

「一応、あなただって伊達の重鎮のお嬢様なのだから、それらしいことはしないとね」

「……やっぱり?」



 実はちょっと誤魔化してたことをすっかり彰子に見破られて祥子はぺろっと舌を出した。

 そんな自分に彼女は小春日和のような微笑みを浮かべてくすくすと笑う。

 それに釣られるようにして自分も口元を緩めれば、腕の中にいた小さな姫君がきょろきょろと不思議そうに首を傾げた。



「祥子、いるか?」



 ふと、そんな風に2人で不思議そうにしている姫を尻目にくすくす笑いあっていると、ずいぶんと聞き慣れた声が自分の名を呼ぶ声が聞こえ、祥子は璃桜姫を降ろしながらゆっくりと振り返る。

 視線の先には強面だが、端正である顔に驚きの表情を浮かべた男が1人こちらに向かって歩いてくる姿が見えた。



「あ、こじゅろーさんだ」



 そう、見紛う事なく、その男は自分の養父であり奥州筆頭の右目とも呼ばれる忠臣・片倉小十郎である。

 自分のすぐ傍までやってきてぽんぽんと頭を叩いた彼は、目の前に佇んでいた璃桜姫と彰子に軽く礼をする。



「これは……奥方様に姫様。何故このような場所に……」

「あねさまにあそんでもらおうとおもったのです!」



 意外なことに小十郎の疑問に最初に返答を返したのは、母親の足元でぴょんぴょんと飛び跳ねていた小さな姫君であった。

 その言葉に彼は軽く目を見張ると、事情を聞こうとでも思ったのか今度は彰子の方に顔を向ける。

 彼女はくすくすと困ったように苦笑を浮かべていた。



「ごめんなさいね、小十郎。璃桜がずいぶん、祥子ちゃんのことを追い回しててね。稽古してるのにお邪魔してしまったみたい」

「そうでしたか……いいえ。奥方様が謝られるようなことではございません」



 どうせこいつですし、とぱんぱん自分の頭を叩いて微笑む男に祥子は思わず「おろ?」と声を上げる。



「ねぇ、祥子に何かようじ? まだけいこの時間じゃないよね?」



 そして疑問に思ったことを彼を見上げたまま告げれば、小十郎ははっとしてから「そうだった」とこちらを見つめてきた。

 何だかちょっと嫌な予感がした。



「祥子、お前ちょっと政宗様のところに行ってこい」

「なんで?」

「少し外に出てくるから、政務の見張りを頼みたい」

「げっ」

「おい、ちょっとまてお前。今『げっ』って言いやがったな?」

「きのせい」



 即そう発言した後に祥子は軽く息をつく。

 凄みのある893顔で問い詰めるように睨み付けてくるのは反則だと、内心で愚痴った。

 と、言うよりも。いい年こいて政務さぼろうとする政宗も政宗で大概だと思う。

 すると、そんな自分達を見守っていた彰子が穏やかに微笑んだ。



「では、私と璃桜も殿の元へ参りましょう」



 その彼女の言葉に、今度は祥子と小十郎が驚いて顔を見合わせる。

 そして彼が慌てたように手を振った。



「奥方様にそのようなことは……!」

「良いのです。夫を見張るぐらい、あなたの仕事に比べれば楽なものですよ」

「……恐縮です」

「そんなに畏まらないでください。それに、まだ璃桜も祥子ちゃんと遊び足りないようですし」



 ね?と彰子が傍にいた璃桜姫に声をかければ、小さな彼女はきょとんとした顔のまま力いっぱい頷いた。



「こじゅ! 璃桜はもっとあねさまといっしょにいたいよ! だめ?」

「…………お2人がそこまで仰せられるのでしたら、私からは何も言うことはございませぬ」

「決まりですね。早速殿の元に……あ、折角だから、ついでに祥子ちゃんの袴を見繕おうかしら? 可愛い色の生地あったかしらね……」

「奥方様!?」

「小十郎、たまにはちゃんと女の子らしい格好もさせてあげないといけませんよ? いつか祥子ちゃんに惚れてしまう女子でも出てきたらどうするのです」



 殿に似ている分将来かっこいい女子になったらその可能性も否定はできませんよ、と冗談混じりにからころ笑いながら慌てて付いてくる小十郎を尻目に彼女はすたすたと城に向かって歩き出す。

 その後ろを、祥子は目を丸くしている璃桜姫の手を握りながら彼女の歩幅に合わせてゆっくりと歩き出した。

 どうやらいつの時代になっても、女の人とは意志的に男の上を行くもののようだ。

 自分と手を繋いでご機嫌な姫君に目元を緩ませながら、祥子はそんなことをぼんやりと考える。

 ふと、少しだけ吹いた中庭の風に花の香りが混ざっていることに気がつく。

 どうやら奥州にももうすぐ春が迫っているようだ。