前田慶次、罷り通る

 それは政宗と彰子の婚礼前日のことだった。

 政宗は執務室で書類を決裁していた。婚儀の明日とその翌日くらいは新婚らしく花嫁とイチャコラしていたいから、前倒しで仕事を片付けている。別に一日二日サボったとて成実や小十郎が何とかしてくれるのではあるが、きっと彰子が気にする。というか、ぶっちゃけ怒る。だからサボるのではなく前倒し。

 そうして一通りのデスクワークを終え一息ついたところに小十郎が現れた。

「政宗様、城門を突破しようとした狼藉者を捕らえました」

 いつもの眉間の皺5割増で小十郎が報告してくる。明日の婚礼の祝いの使者の対応で忙しいところにトラブルではそうもなるだろう。

「Ahー……何処の馬鹿だ」

「前田の馬鹿です」

 政宗の問いに即答。キッパリと吐き捨てるように。

「前田の風来坊か」

 利家とまつであれば『前田の馬鹿夫婦』と言うだろう。となれば残るは頭に花を咲かせて恋だ愛だと言っている馬鹿、基、風来坊に違いない。

「はい。前田慶次にございます。如何なさいますか」

「ウゼェからぐるぐる巻きにして越後との国境あたりに捨てて来い」

 中々非道い言い様である。しかし、奥州筆頭としては慶次に対して好意的には成り得ないのだ。戦場に首を突っ込んでは引っ掻き回すくせに、言うのは愛だの恋だの軽薄なことばかり。愛する者のいる今、恋愛を軽んずる心算はないが、だからこそ余計に前田の言は腹が立つ。

 戦を価値のないものとして否定するのは自由だ。個人でそれを主張するのも。だが、それなら何故戦に加わるのか。価値がないというのならば不戦を貫けば良い。しかし彼は喧嘩は派手でなくちゃと暴れ回る。

 この戦国の世、騒乱の中名乗りをあげた武将の親族として戦場にありながら、彼のスタンスは一定しない。中途半端にフラフラと関わってくる。命を懸けてこの国の行末に関わる覚悟もないくせにと、政宗は苛ついてしまうのだ。

 政宗が対等な者として認めるのは、信玄、謙信、島津義弘、毛利元就、長曾我部元親、そして業腹だが織田信長と豊臣秀吉。領地領民をその背に背負い、己の一族と命を懸けてこの戦国の世を終結させ、未来を切り開こうとする者だ。その思想や目指すところに相違があるとはいえ、その点では皆一致している。

 だが、前田慶次は違う。彼は何も背負わない。何の責任も持たない。何の覚悟もない。そのくせ、一人前の口を利いて首を突っ込む。なまじ腕が立ち将器もあるだけに余計に腹立たしい。

「そうも参らぬかと。一応前田家からの祝賀の使者のようでございます。暴れましたので捕らえましたが」

 一応使者だというなら放り出すわけにも行かない。使者の応対は父輝宗と舅信玄が行っているから、そちらに任せよう。

「ですが、前田の風来坊は政宗様との対面を望んでおりますゆえ、叶わぬとなると何度も押しかけてくるのではないかと」

 うんざりしたように言う小十郎に、報告に来るまでに散々慶次と言い合ったのだろうと想像がつく。政宗は溜息を付くと、慶次との対面を許可したのであった。






 小十郎によって連れてこられた慶次は未だに縛られたままだった。しかもその大きな体を縛っていたのは

「なぁ、独眼竜、なんで俺、縄じゃなくて鎖で縛られてんの?」

 鉄の鎖だった。

「縄じゃ引き千切るだろうが」

 政宗からも問いかける視線を向けられた小十郎はそう答える。

「えー、俺何者よ。引き千切ったり出来ないって……」

 はぁ、と溜息をつく慶次の肩で友人を慰めるように小猿が『キー……』と鳴く。

「まぁ、いいや。独眼竜、コレ解いてよ」

 一応俺使者だし、と言えば

「No、ヤなこった」

 即座に拒否する政宗である。使者なら使者らしく大人しくその旨城門の兵に告げて取次ぎを頼めばよいものを、『独眼竜、手合わせしよーぜ』と叫んで城門突破しようとして警備兵に咎められ、暴れて捕らわれたのだ。同情の余地はない。

「ひでぇなぁ。俺、祝賀の使者なのに。ちゃんと祝いの品だって持っ……あれ? 何処やったっけ」

 縛られている慶次は当然何も持っていない。いつも背負っている大刀は小十郎に取り上げられている。門番と乱闘になるまでは確かに持っていたのだが、と思案していると、夢吉が髪を引っ張り『キキッ』と鳴いて小十郎を示した。彼の前に慶次が持ってきた風呂敷包みがある。

「あ、片倉さんが預かっててくれたのか! 良かったー! 失くしたなんてまつ姉ちゃんにバレたら殴られるところだったぜ」

 慶次は安堵の溜息をつく。彼にとってこの世で一番怖いのが義理の伯母だ。

「なぁなぁ独眼竜、このとおり俺、前田家の使者なんだぜ。鎖解いてくれよ」

 そう言う慶次を政宗は鬱陶しそうに見る。

「確かに祝いの使者だな。言上も祝いの品も受け取った。態々のお運び御礼申し上げる。──ってことで用は済んだ。小十郎、国境くにざかいに捨てて来い」

「御意」

 非道いことを言う政宗に今度は小十郎も反論することなく頷く。

「ちょっ、ひでぇって、独眼竜! 嫁さんに会わせてくれねぇのかよ!」

 一目花嫁に会いたくてやって来た慶次である。ここで追い出されるわけにはいかない。

「誰がてめぇなんざに会わせるか、バーカ」

「馬鹿とはなんだよ! いいだろ、会わせろよ! 興味あるだろうが!! 今まで女にちっとも興味持たなかった独眼竜が激愛してる女の子だぞ! てっきり独眼竜は衆道趣味かと思って心ぱ……」

「てめぇ、オレがGayだってんのか」

 慶次の『政宗は男色家』発言に、政宗の蟀谷に青筋が走る。

「独眼竜は美人で細身だから、そっちのほうかと……」

 言わんでもいいことを慶次は言う。つまり慶次は政宗がゲイでしかもネコだと思っていたと白状してしまったわけだ。途端、政宗の体からビリビリと青白い稲妻が放電を始める。

「口は災いの元だなぁ、風来坊」

 そう言って立ち上がる政宗は既に抜刀している。

 目が据わっている政宗を見て、流石の慶次も身の危険を感じたのか後さずる。その顔には引きつった笑みを貼り付けて。

「イヤ……だから、そうじゃなくて良かったなーって……」

 狼狽てて弁明するが後の祭りだ。

「言い残すことはそれだけか」

 政宗の体からの放電が激しさを増す。こうなると小十郎にも止めようがない。

「政宗様、せめて室外で。婚礼を明日に控え、室内を壊されては困ります」

「Oh,I see」

 小十郎の言葉に政宗が頷くと、小十郎は持っていた鎖を引っ張り手首をクイっと捻る。すると見事に慶次は庭へと転がり落ちた。空かさずそこにHELL DRAGONが襲い掛かる。逃げる暇もなかった。

 結果、そこにはプスプスと燻る慶次が転がることになったのである。

「キキー……」

 鎖が引っ張られた瞬間、危険回避とばかりに慶次から離れた夢吉は呆れたように一声鳴いたのであった。






「ったく、独眼竜、心が狭いよな」

 復活し、鎖も解かれた慶次は政宗と酒を酌み交わしていた。

 なんだかんだといって慶次は政宗の一応友人だ。戦国大名としての政宗は慶次の姿勢を嫌っているが、単なる男同士であれば慶次の気質を気に入っている。だからこそ、慶次の姿勢を腹立たしく感じるのだ。

「てめぇが妙なコト言うからだろうが」

 ニヤリと笑って政宗は応じる。その表情には『友』に見せる気安さがあった。

「で、どんな女の子なんだい、独眼竜がベタ惚れの武田秘蔵の姫ってのは」

 慶次は興味津々だ。無理もない。

 政宗は己の全てを戦うことに懸けているような男で、浮いた噂一つなかった。普通大名の嫡男ともなれば元服と同時に嫁を取ることも珍しくはない。しかし、政宗は19になるまで正室どころか側室の一人も持たなかった。時折訪れた奥州で共に悪所通いしたこともあるから、本当は政宗がゲイではないことも、女や性に全く関心がないわけではないことも知っている。とはいえ、奥州筆頭が未だに側室もなく浮いた噂の一つもないとなれば、純粋に友として心配していたのである。

 ところが、だ。突然、奥州と甲斐の同盟が明らかになったと思えば、同時に政宗は甲斐から一人の女を連れ帰り、側室として寵愛しているというではないか。謙信から三国同盟の話を聞いたときには驚いた。唯我独尊を地で行くような、独立独歩を旨とする政宗が誰かと手を組むなど考えもしなかった。だが、それ以上に驚いたのは政宗が真田の姉姫を熱愛・溺愛しているということだった。面白そうな謙信の口ぶりからもその寵愛の程は窺われた。それだけでもその寵妾への興味が尽きないというのに更に謙信までもが『りんどうはまことにきょうみぶかい、おもしろきにょしょうですよ』などと言うものだから、慶次の興味は更に増す。

 早速その側室を見に行こうと思っていたら、伯母のまつに捕まり暫く国から出ることすら出来なくなった。そうこうしているうちに、今度は上田御前が実は信玄の実子だったことが判明し、政宗の意向もあって、改めて正室として輿入れし直すことになったという次第である。

「噂じゃ滅茶苦茶キレイな女の子で、その上頭も良くて、おまけに下々に優しくて心配りが利いてるって、完全無欠の姫君らしいじゃないか」

 正直噂は出来過ぎているように思う。そんな完璧な人間がいるはずもない。そんな慶次の考えを察したのだろう。政宗も苦笑を零している。

「確かにHoneyは美人の部類に入るぜ。だが、造りよりも内面が輝いてんだ。頭が良いってのも嘘じゃねぇ。何しろ綱元と対等に議論しやがる。下々に優しいとか心配りが利いてるってのはあれだ。育ちが庶民だからな。他の姫に比べてってとこだ。うちの連中はHoneyに心酔してるヤツが多いんでな。Honeyの美点は何倍にも誇張して言い触らしやがるんだよ」

 そしてそれが周囲の好意から来ていると判るだけに、彰子は一層感謝して周囲への厚意と好意で返す。それが余計に彰子の評価を高めるのだ。

「へぇ……。謙信が好意を持つのも尤もってワケかい」

「Honeyが正室になったのは、オレが望んだからだけじゃねぇ。皆が望んだんだ。小十郎や綱元たち重臣も、親父やお袋までもが望んだ。奥州の皆が望んだ正室だ」

 政宗にはそれが誇らしい。城下では民が喜んでいる。城内の者も皆喜んでいる。押し付けられた慶賀ムードではない。彼らは本心から政宗と彰子の婚礼を祝い慶んでいるのだ。

「ますます会いたいねぇ。会わせなよ、独眼竜」

「無理だな。Honeyは今、お袋のところだ。明日の婚礼までオレでも会わせてもらえねぇんだ」

 彰子は奥州に到着後、以前の部屋には入らず輝宗夫妻の住む東の丸に滞在している。そこで舅・姑・小舅・小姑、父母異母兄と共に過ごしており、政宗はまだ対面を許されてはいない。婚礼まで会わないのが慣例であり仕来りだと言われてしまえば、政宗としても何も言えず、ただただ明日を心待ちにしていたのだ。

「なんだ、つまらねぇな。けど、独眼竜も会えねぇんじゃ、俺も我慢するしかないね」

 慶次は一つ溜息をつくと、盃を煽った。






 その後、小十郎、成実、幸村、佐助と集まり、これまでを振り返りつつ、政宗は婚礼前夜を過ごしたのだった。