「かかさまー! かかさまー!!」
自室で正月の祝の打ち合わせをしていた彰子の許へ元気な足音が二つ聞こえてきた。元気なのは良いけれど、これではきっと後から小十郎か綱元か、或いは乳母に叱られてしまうだろう。しょんぼりとする姿が目に浮かび彰子は溜息を漏らした。
心得たもので、喜多と側仕えの衛門は広げていた書状や文机を部屋の隅へと片付けている。
「おやおや、ちぃ姫は相変わらず元気の良いこと」
口元を袖で隠しながら目の前の姑はクスクスと笑う。元気な孫の声に愛しそうに目を細めている。
「騒がしゅうて申し訳ありませぬ、母上様」
「なんのなんの。童とはそのようなものです。政宗は幼き頃は温和しい子であったゆえ、ちぃ姫は妾に似たのであろうのぅ。妾はお転婆姫であったゆえな」
姑はさも楽しそうに言う。最上の義姫といえば『鬼姫』ともいわれた女傑だ。やはり幼い頃からその片鱗はあったのだろうなと彰子は思った。
「されど、虎菊丸は聊か温和しすぎるようじゃのう。まぁ、泰平の世ゆえ、それもまた良かろうが」
恐らく共にやって来るであろう嫡男を思い浮かべ、彰子は首肯する。息子の温和な性格は乱世であれば頼りないものと映るだろうが、天下統一が為された今、平和な世の礎造りにはきっと、息子の穏やかさは利点になるはずだ。
そんなことを彰子が考えていると、足音の主たちが姿を現した。振り分け髪の彰子に似た女童と、父から厳しさと鋭さを差し引いた愛らしい男童である。
「なんですか、璃桜、虎菊丸。騒々しいですよ。まずはおばあさまにご挨拶申し上げなさい」
母親らしく部屋に駆け込んできた子供たちを窘めると、二人は慌てて座り、祖母である義姫に挨拶をする。
「おばばさまにはごけんしょうのごようす、しゅうちゃくしごくにぞんじあげまする」
まだ3歳に過ぎない虎菊丸が舌ったらずな喋りながらもそう告げると、義姫は愛おしそうに孫たちを見る。同じ地にいるとはいえ、政宗たちとは違う館に住まっている義姫は、気軽に行き来出来るものでもない。況してや幼子の足では到底無理な距離でもあり、中々孫たちの顔を見ることは出来ないのだ。
「おばばさま、お騒がせ致しまして、申し訳ございません。璃桜たち、如何してもかかさまにお願いがあったのです」
璃桜も7歳とはいえ、伊達家の姫としてきっちり教育は受けており、言葉遣いは確りとしている。
「そうですね。そのように慌ててやって来たのです。大事なお願いなのでしょうね」
一般に子よりも孫に愛して甘くなるのはジジババの常である。それは義姫も例外ではなかったようで、笑顔のまま頷いている。
「お子たちの話を聞いておあげなされ、甲斐殿。妾はしばし休みますゆえ、姫たちの話が終わったら、呼びに来てくだされ」
義姫は彰子にそう告げると、喜多を伴って部屋から出て行った。『鬼姫』との異名が嘘のように孫たちには甘い義姫なのだ。否、義姫だけではない。時折訪れる信玄とて同じだ。信玄もこの二人の孫を前にすると『甲斐の虎』は木天蓼を前にした猫同然になってしまうのだ。
因みに彰子の子が信玄の孫となるのには、理由がある。彰子が正室となる折、彰子の格をあげる為にと、信玄が『彰子は儂の娘、しかも正室腹』ととんでもない嘘八百な宣言をしたのだ。当然政宗も彰子も驚いたが、甲斐は総出で彰子の身許を完全捏造していた。信玄の正室三条夫人までがそれに乗っかり、ノリノリで彰子を『我が姫』と呼んだものだから、彰子たちは何も言うことが出来なかった。
そんなわけで、政宗正室となった彰子は側室時代の『上田御前』から『甲斐御前』へとその呼称を替えることになった。
祖母の退室を大人しく見送っていた璃桜は、祖母の姿が見えなくなるや、母の許へ駆け寄った。
「かかさま、璃桜はくりすますとやらをやってみとうございます!」
「それがしも、くりすますとやらをやってみとうございまする!」
「クリスマス?」
この世界では聞くはずのない言葉に、彰子は一瞬目が点になる。
「萌葱から聞いたのです。くりすますには山太黒洲なる仙人殿が贈り物を持ってやって来るのだと。栗素枡釣りなるものを飾り付けて、partyをするのだと」
意味の判っている英単語だと途端に発音が良くなるのは父の所為である。山太黒洲はサンタクロース、栗素枡釣りはクリスマスツリーのことだろう。
しかし……萌葱が情報源だとは。今までで元の世界のことを子供たちに話したことはなかったくせに、流石に爺(人間換算年齢64歳、信玄よりも年上である)になって耄碌してきたのかと彰子は溜息をついた。
「ははうえ、それがしはみなとpartyしとうございまする。RoastChickenやくりすますcakeをみなとしょくしとうございまする」
「かかさま、お虎もこう申しております。くりすますpartyをしとうございます」
後で萌葱にはお仕置きをしなければと思いつつ、彰子は子供たちを宥める。
「クリスマスは異国の神様をお祀りするものですよ。日ノ本の民には関係のないことです」
そもそもこの世界にキリスト教はあるんだろうか……と彰子は痛む頭で考えた。ザビー教なんてものはあるが、あれはキリスト教とは無関係だと思いたい。
「異国の神様でも構わぬだろうと真朱が申しておりました。日ノ本には八百万の神々がおわしますのですから、何の問題もないと!!」
真朱め……と心の中で彰子は毒づいた。何も二人に超絶甘いのは人に限ったことではないのだ。真朱は恐らくこの城で1、2を争うほど二人に甘い猫物(と書いて人物と読む)だった。
「新年を迎える準備に皆忙しいのですよ。そんなときにクリスマスパーティだなんて、皆の迷惑になります」
日ノ本の各地から諸大名が挨拶に訪れる。九州の島津義弘、中国の毛利元就、四国の長曾我部元親、越後の上杉景虎、奥州の伊達成実。天下統一前から同盟関係にあった景虎や親族である成実は問題ないが、島津・毛利・長曾我部は互いに天下を相争った相手ゆえ、半端なく気も遣う。特に毛利元就に至ってはそれはもう、『キャベ○ンプリーズ』と言いたくなるくらいに。それに朝廷からの勅使も下向して来るのだ。毎年年末は将軍である政宗も御台所となった彰子も、自分があと3人はほしいくらいに忙しい。
「partyは出来なくとも山太黒洲殿は来てくださいましょうか」
如何やらパーティは諦めてくれたようだと彰子はホッとする。子供たちの願いを叶えてやりたい気持ちは彰子にもあるのだが、何せ年末だ。忙しいのだ。母としてのみ行動することは出来ない。如何しても御台所としての立場を優先させなければならない時期なのだ。
「そうですね、山太黒洲殿は良い子には贈り物をくれるそうですが、璃桜や虎菊丸は如何でしょうね」
クリスマスプレゼントくらいなら自分の裁量で如何にでもなるかと、彰子は子供たちのささやかな願いを聞くことにした。
「手習いもお作法もきちんとやっておりまする! 乳母だって褒めてくれまする」
「それがしも! こじゅやつなもにもほめられまするぞ! わかはいいこでございますなと」
良い子にしておりますると主張する我が子に、彰子は目元を笑ませる。
「璃桜も虎菊丸も良い子にしていましたね。きっと山太殿も贈り物をくだされましょう」
彰子はにっこりと笑って、子供たちの髪を優しく撫でたのだった。
ところが話はこれでは終わらなかった。というか、これで終わったら物語にならないのである。
「姉上!! 樅ノ木をお持ち致しましたぞ!!」
御台所の弟ということで奥にもフリーパスの幸村が現れたのは、璃桜と虎菊丸の『お強請り』から3日後のことだった。
突然現れた弟は今山から帰ったと判る泥まみれの姿で、褒めてくだされと言わんばかりに胸を張っている。既に25歳になっているというのに、未だに少年のような弟に彰子は溜息が漏れる。
「幸村、樅ノ木とは?」
「栗素枡釣りとやらに使うのでござろう? 璃桜姫がくりすますぱぁりぃなるものを催したいと願っておいでだとか! 義兄上や姉上がお忙しゅうてお出来にならぬのであれば、叔父たるこの幸村が出番にございまする!! 璃桜姫と虎菊丸殿の願いならば、この幸村、身命を賭して叶えまする!!!!」
いや、そんな願いに命賭けるなよと心の中で突っ込み、彰子は頬が引き攣るのを感じた。これでも幸村は老中に名を連ねる幕閣の重鎮なのだ。
「璃桜が貴方に強請ったのですか、幸村」
聞き分けよく諦めてくれたものと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
「いいえ、璃桜姫も虎菊丸殿も母君の仰せをちゃんと理解しておられましたぞ。流石は姉上のお子。利発なことこの上もない!!」
まさに叔父馬鹿ここに極まれりといった風情の幸村である。というか、周囲には親馬鹿(政宗)、ジジ馬鹿(輝宗と信玄)、ババ馬鹿(義姫と三条夫人と真朱)、家臣馬鹿(その他諸々)しかいない気がする。幸い喜多と彰子の側近の侍女たちは甘やかすことと可愛がることの違いを弁えているから助かるのだが、旧武田勢のジジ馬鹿・叔父馬鹿・細作馬鹿っぷりは他の追随を許さぬほど抜きん出ていて、彰子や傅役たちの頭痛の種になっているのだ。
「義兄上の催されるような大きなぱぁりぃは無理かと存ずるが、お館様、璃桜姫、虎菊丸殿、それがしでささやかなる宴を開く分には構わぬでござろう、姉上。祖父や叔父が子らと遊ぶだけにございますれば」
如何やら幸村は既に信玄にも根回し済みのようだ。恐らく手配したのは佐助だろうが。抜かりのない佐助のことだ。幸村経由でクリスマスのことを聞いた後、きっと真朱たちにクリスマスパーティが如何いうものか説明を受け、この時代でも出来る範囲の準備はしているに違いない。
「……判りました。では、樅ノ木は璃桜のいる西の対屋へ。そこでクリスマスパーティをすればよいでしょう」
こうなったら止めても無駄である。それに自分の代わりに幸村が子供たちの願いを叶えてくれるというのだ。感謝の気持ちも沸いてくる。
「幸村、ありがとう」
「なんの! 可愛い姪と甥の為にございまする!」
昔と変わらぬ屈託のない明るい笑顔で幸村は応える。
「ですが、幸村。いつまでも姪や甥の遊び相手ばかりせず、そろそろ貴方も奥方を迎え、ご自身のお子を持つことを考えねば……ってこら! 逃げずに話を聞きなさい、幸村!!」
彰子が最早恒例のお説教へと突入しかけた瞬間、脱兎の勢いで幸村は璃桜のいる西の対屋へと逃げ去ったのであった。
「Hey! Honey!!」
一難去ってまた一難。
そう言えば夫も弟も機嫌を損ねるかもしれないが、今の彰子はまさにそういう心境だった。逃げていった幸村に諦めともなんともつかない溜息を漏らした彰子の許へ、今度は夫がやって来たのだ。──今は執務時間のはずだ。そう思った彰子の口調は明らかに嫌味の混じったものとなる。
「上様、お仕事は如何なされました。鬼庭、片倉と共に勅使をお迎えする準備をなさっておられたはずですが」
普段は使わない『上様』なんて呼称まで使う。仕事中だろ、コラ。というわけだ。
正月には帝からの勅使がやって来る為、その準備に大わらわのはずなのに、と彰子は再び溜息を漏らす。溜息を一つつくごとに幸せが逃げるというが、だったらこの数日で自分はこの先一生不幸かもしれない。
「No Problem.小十郎と綱元がいるんだ。初めてのことでもねぇんだし、任せときゃいい」
今では老中として幕閣の中心にいる小十郎と綱元である。その分、苦労は増している。綱元の髪から艶がなくなり、小十郎の生え際が後退しているのはきっと彰子の気の所為ではないはずだ。
「山太黒洲ってのは何者なんだ?」
またかと彰子は思った。璃桜と虎菊丸はいつだって台風の目なのだ。
「璃桜に聞いたの?」
「ああ。良い子にしてればpresentがもらえると嬉しそうに言ってたぜ」
何処か不満そうな表情で、政宗はどっかりと彰子の正面に腰を下ろす。如何やら自分の知らない者が愛娘と愛息子に勝手に贈り物をしようとしていることと、それを子供たちが喜んでいることが不満なのだろう。微笑ましいような、情けないような父親の独占欲である。
「あの世界の季節行事なの。萌葱たちが教えてしまったみたい」
彰子は苦笑しながら、クリスマスのことを説明する。政宗にはあちらの世界の基礎知識がある分、説明がしやすい。
「なるほど、架空の人物ってヤツか」
由来となっている教父聖ニコラウスは実在の人物だが、所謂クリスマスにプレゼントを持ってくるサンタクロースは架空の存在だ。幼い頃は大抵の子供がその存在を信じていて、サンタさんを信じなくなるのが大人への第一歩だったりする。
彰子も幼い頃は例に漏れずサンタクロースを信じていて、『サンタさんに会うんだ!』と頑張って起きていようとしながらも睡魔に勝てず、翌朝枕元のプレゼントを見て喜ぶと同時に『サンタさんに会えなかった』と落ち込んだのを覚えている。今にして思えば、両親は自分たちが寝入るのをじっと待っていたのだろうなと苦笑も漏れる。2階にある子供部屋まで狭い階段を補助輪つきの自転車を運んだ父はさぞ大変だったことだろう。
「Babiesは何が欲しいんだろうな。勿論、山太黒洲役はオレだろう、Honey?」
「あら、私と政宗さんの二人がサンタクロースよ。政宗さんだけなんてずるいわ」
クスクスと笑いながら彰子は反論する。政宗も楽しそうな表情になっている。普段は将軍としての役目に追われ、子供たちと遊ぶ時間も殆どないのだ。こういったイベントで子供たちを喜ばせることが出来るのは政宗にとっても楽しく嬉しいことだった。
二人でプレゼントは何がいいのかを、あれでもないこれでもないと相談するのも楽しいことだ。久しぶりに純粋に父と母としての時間を持てた気がする。
まさか今の自分が、クリスマスの親側の楽しみを味わえるとは思わなかった。この世界にはクリスマスがないから初めから諦めていた。けれど、萌葱のおかげで思いがけず諦めていた親としての楽しみを味わえることになった。もしかしたら、真朱はそのあたりに気づいていたのかもしれない。考えすぎかもしれないが、ぶっちゃけあれは化け猫といってもいいだろうというほどの猫離れした猫だ。穿ちすぎとは言い切れない。
「こんな楽しいeventだったら、もっと早くに教えてほしかったぜ、Honey」
「文化違うんだから仕方ないでしょ。でも、広めちゃうのもいいわね」
笑いあいながら、久しぶりのゆっくりとした時間を楽しむ。
そんな二人の許へパタパタと愛らしい足音が近づき、幸せの象徴が飛び込んできた。
「ははうえ、それがしにたびをおかしくださいませ」
虎菊丸は部屋に駆け込んでくるなり、母親にそう願う。
「Hey,虎。足袋なんざどうするんだ?」
「ちちうえ!!」
滅多に日中には会えない父の姿に虎菊丸は顔を輝かせ、父に抱きつく。政宗もまた笑顔で抱きしめ返すと、息子を膝の上に座らせる。
「もえぎにきいたのです。さんたどのはたびのなかにpresentをいれるのだそうです。けれど、それがしのたびではあまりにちいそうございますゆえ、ははうえのたびをおかりしようとおもうたのです」
「Ha-m.なるほどな。それならDadyの足袋を貸してやろう。Momのよりも大きいからな」
口元を袖で覆って笑いを堪えている彰子を見遣りながら、政宗は虎菊丸の頭を撫でる。如何やら靴下の代わりに足袋を用意するところに笑いのツボをつかれたらしい。それだけではなく、小さな足袋にプレゼントを入れようとして四苦八苦する政宗の姿を想像してしまった為に、余計に笑いがこみ上げていたのだ。
「まことでございますか、ちちうえ! ありがとうございまする!! では、あねうえのぶんもおかしいただけましょうか」
「ああ、勿論だ。今夜持っていってやるよ」
きらきらと瞳を輝かせる愛息に頼もしい父親の表情で政宗は請け負ったのであった。
そうしてやってきたクリスマスイブには、政宗と彰子の二人で選んだプレゼントをサンタクロースよろしく子供たちが寝静まるのを待って枕元の足袋の中に入れようとした。しかし、璃桜の為の人形も、虎菊丸の為の鞠も当然ながら入らない。
「おい、Honey、入らねぇぞ」
「当たり前でしょ。そんな大きい人形と鞠が入るわけないじゃない」
「本多忠勝の足袋を借りてくるんだったな」
「あの人足袋履いてんの?」
「素足じゃねーだろ。ってか、どうすんだよ、Honey」
「そうだ、メッセージカードを足袋の中に入れて、プレゼントは枕元に置こう」
初めてのサンタクロース役に、普段は用意周到なはずの父と母もワタワタと慌てる結果になった。
尤も翌朝、枕元に置かれた山太黒洲からのプレゼントを見た子供たちは『山太黒洲殿が来てくだされた』と報告にやって来て、朝から政宗と彰子をほっこりと温かな気持ちにさせたのだった。
その日の午後には、幸村と信玄による栗素枡之宴が開かれた。招待された祖父輝宗、祖母義姫、叔父小次郎の他、いつの間にやら謙信やらかすがやら小太郎やら成実やら人が集まってしまい、大層賑やかなものとなっていた。
更には忙しい中暇を作って小十郎や綱元までやって来る有様で、結局主催が幸村というだけで、城内総出に近いパーティとなったのである。
数日間仕事をサボってプレゼント選びをしていた為に、執務室に閉じ込められ側近たちに交代で見張られ、参加出来なかった政宗が拗ねてしまったのは余談である。