「政宗様、準備が整いましたゆえ、お出ましを」
小十郎の言葉に政宗は頷く。今日は
尤も今の伊達家では徒手での模擬戦闘とその後の馬鹿騒ぎ(宴会)をさして『相撲節会』と称しているのだが。ノリのいい伊達家臣たちには格好のお祭り騒ぎのネタである。
その一方で女衆は機織や縫い物、芸事の上達を願い、乞巧奠の準備に余念がない。喜多をはじめとした女性陣は宴会の準備と共に祭壇の飾りつけもあり大忙しだ。
「partyの準備も出来てんのか?」
相撲の会場となっている練兵場へ向かいながら政宗は問いかける。
「抜かりなく。大量の酒も肴も届いております」
溜息を漏らしつつ小十郎は応じる。何かと『partyだ』と騒ぐ政宗とその配下によって、通常歳費のうちのどれだけが酒肴に費やされていることか。まだ政宗自身が普段の生活が質素で贅沢をしないこと、一人の室もいない為その装飾品などに出費がないことが幸いして何とかなっているが。綱元が蟀谷に青筋を立てるのが目に見えるようだ。
ついでにいえば、戦費に関しては完全に別会計で予算を採っている為、宴会のし過ぎで戦が出来ないということにはならない。古くから続いた武門であるという誇りが伊達家にはあり、戦に備えた予算は常に別枠で蓄えているのだ。それこそ400年も昔から。それがあるからこそ、民から不当な搾取をせずともこれだけの戦が出来ているのである。
「そんな顔すんな、小十郎。今は戦もねぇからな。あいつらも力持て余してんだろ」
ガス抜きしねぇとな。と政宗は笑う。ガス抜きとはなんだろうと小十郎は思ったが、前後の文脈から凡その意味を察する。この主は数ヶ月前の3日間の行方不明以来、異国語ではないものの意味の判らぬ言葉を使うことが増えた。恐らく平成の世とやらで仕入れた知識なのだろう。
やがて二人は練兵場へと到着する。既に大勢の家臣たちが準備を整え、闘志を滾らせている。この数ヶ月大きな戦もなく、兵たちは力を持て余しているのだろう。どの地域もある程度大きな勢力に併合され、いまや簡単には戦を起こせる状態ではない。ほぼ膠着状態に陥っているのだ。戦を起こせばそれは大きなものになる。大きな戦であれば、自ずとその準備は時間の掛かるものになる。
「Hey,Guys!! 今日は目いっぱい楽しみやがれ!」
それを合図に『相撲節会』というかつての宮中行事とは全く趣を異にする、主公認の男くさい大喧嘩が始まったのであった。
相撲によって闘争本能を満足させた兵たちは、今度は大盤振る舞いの酒肴によって胃袋と心を満たしている。政宗の気質を反映して伊達家では然程上下の区別を厳しくしない。序列は勿論あるが、こういった行事の折には寧ろ内政面を担当する重臣よりも最前線で戦う下級兵士のほうを重視する傾向がある。内政を軽んずるわけではないが、命の危険のある者を優遇するのは政宗や重臣たちにとって当然のことだった。彼らがいなければ戦えないのだから。
無礼講の乱痴気騒ぎの中、政宗は上座に座りそんな配下の姿を満足そうに見遣っている。この場に女性はいない。女たちは乞巧奠の祭りの為に宴会には借り出されないのだ。全て男たちの手でこの宴会は差配されている。女たちは星祭を楽しんでいることだろう。
星祭──その言葉に触発され、政宗は席を立つと庭に出た。夜空を見上げれば降るような星が煌めいている。
「星が……多いな」
のんびり星空を見上げることなどなかった。夜は明日への活力を養う為の休息の時間。眠る為の時間だ。偶に月を肴に呑むことはあっても、星は意識したことがなかった。
「何処と比べてんの? 梵」
背後から飄々とした声がかかる。
「梵っつーな、時宗丸」
相手が幼名を呼ぶならと政宗も幼名で応える。
「いーだろ、別に」
成実は全く気にする様子もなく政宗の隣に並び、同じように星空を見上げる。
「もしかして、彰子ちゃんがいた世界?」
「Yes.あの世界では夜でも町中に明かりが溢れてたからな。こんなに沢山の星は見えなかったんだ」
だから偶に明かりのない山や田舎に行くと星が降ってくるようだと彰子は言っていた。そんな星空を見ると、喩えようもない美しさに恐れを抱くのだと。けれどその恐れは決して不快なものではなく、とても心地の良いものだとも。
「見せてやりてぇな……あいつに」
東京は星が見えないからなぁ……そう詰まらなそうに呟いていた彰子を思い出す。
そう言った政宗の声が今まで聞いたこともない優しさを持っていることに、成実は苦笑を漏らす。猛々しい竜とも称される政宗が、こんなにも甘く密やかな想いを抱いているとは誰も想像しないだろう。同時に政宗が憐れにもなる。決して会うことの出来ない相手をこんなにも想っているなんて。
「今夜は夜空がきれいに晴れ渡ってるから、きっと織姫と彦星も年に一度の逢瀬を楽しんでるよね。だったら願い事を叶えてくれるんじゃないかな」
年に一度の七夕の夜にだけ逢瀬を許された牽牛と織女。年に一度でも会えるのならばいいじゃないかと今の成実は思う。隣にいる従兄はどんなに想っても会えないのに。
「年に一度の逢瀬、か……」
自分なら年に一度なんて我慢しない。どんな手を使っても障害を排除する。同じ世界にいるならば。
だが、異なる世界では如何しようもない。行く為の手段もない。そう思えば、年に一度とはいえ会うことの出来る牽牛と織女が羨ましくもなる。自分と彰子も、1年に一度でいいから会えればいいのにと。否、会ってしまえば欲は更に募るだろう。諦めたはずの彼女を手許に置きたいという願いがまた甦ってしまう。
せめて夢の中ででも会えれば……などと考えてしまう。現実に会うことが不可能なのであれば、せめて夢で彰子に会いたい。それが本物の彰子ではなく、自分の願望によって形作られる彰子だったとしても。
「……なんか、梵、可愛いかも。恋する男の子って感じだよね」
「Ha!? 今、なんつった成実」
「……えっと……」
「可愛いって聞こえたのはオレの耳がおかしいのか?」
「え……いや、その……殿、耳悪くなったんじゃ……」
「You said having seemed foolish,didn't you?」
「異国語は判んないって……。……ちょ……待って、殿!! 行き成りBASARA技使おうとしないでッ!!!」
「覚悟は出来てんだろ」
ニヤリと政宗は笑う。成実の失言によって政宗の感傷的な気分はすっかり霧散していた。
逃げ回る成実にたっぷりと制裁を加えた政宗は、今度はその際に庭の一部を破壊してしまったことで綱元からお小言を食らう結果になった。笑い転げる成実に拳骨をお見舞いし、今度は小十郎に叱られた。それでも気心の知れた側近たちと呑み直し、いい気分で眠りに就いた。
『夢でもいいから会いたい』
そう願ったからだろうか。その夜の政宗の夢には彰子が出てきた。
彰子はあの世界の衣装ではなく、小袖姿だった。彰子の周りの風景も何処かの武家屋敷か城の中。あのころと同じように彰子は猫たちと共にいて、何かを書き付けていた。
『政宗さん、如何してるかなぁ』
『当分、戦はないと言っていましたし、政務を執っているのでは?』
『きっと仕事サボって、小十郎とかいう人に怒られてるんじゃね?』
『綱元って人にまた閉じ込められてたりして』
お前らオレを何だと思ってるんだと、夢の中で政宗は猫たちに文句を言う。けれどその声は届かない。自分は彰子たちの姿が見えるのに、彼女たちは自分の姿が見えないらしい。少し寂しいけれど、それでも彰子の姿を見られたことが嬉しかった。
『元気ならいいな』
彰子が優しい声でそう言うのが聞こえた。
ああ、オレは元気にやってるせ、Honey。だが、アンタがいないことが寂しいがな。
心の中で彰子に応える。
『また会いたいな、政宗に』
『うん、私も会いたい~』
『そうね。私も会いたいな、政宗さんに』
ああ、これは夢なんだと政宗は思う。自分の願望が見せる夢。だってそうではないか。彰子の着ている小袖も周りの調度も室内の誂えも、全て今この世界のものだ。彰子の周りには有り得ないものだ。だから、彰子は自分に会いたいなどと言ってくれるのだ。
『会えますわよ、いつか。同じ世界にいるのですもの』
その真朱の言葉は、政宗を起こしに来た女中の声によって遮られ、政宗の耳には届かなかった。
「何で俺様、ここにいるんだろ」
「オカンだからじゃない?」
親しくなった女中に誘われ、乞巧奠の祭りに参加していた彰子は、そこに何の違和感もなく溶け込んでいる佐助の呟きに応えた。
乞巧奠は主に女性の祭りだ。機織や裁縫、更には書・詩歌管弦や芸事の上達を願う祭りである。いくら幸村の『オカン』とはいえ、佐助にはあまり関係なさそうなのだが。
「オカンっていうのやめてよ、彰子ちゃん」
はぁぁぁと深く溜息をつきながら、佐助は項垂れている。確かに戦場以外では粗忽な面もある幸村がよく着物を破く所為で、不本意ながら針仕事もそこらの女性以上に巧い佐助ではある。しかし、それでも如何して自分がこの祭りに誘われなければならないのか。城の女中衆が佐助を如何見ているのか、よく判る招待だ。
そもそもこの集まりは乞巧奠に託けて女性陣が日頃の憂さを晴らす為の宴会でもある。だから基本的に男子禁制。なのに佐助は誘われる。つまりそれは城中の女たちが『佐助は幸村様のオカン』と認識していることになるのではないか。
いくつかの集団に分かれお喋りを楽しんでいる女中衆から離れたところで、彰子は佐助と話をしている。彰子はこの城に住んでいるが、女中でなない。一応幸村の祐筆ということになっているが、家臣ではないし、かといって純粋に客人というわけでもない。微妙な立場だ。女衆も明らかに自分たちと立場の違う彰子を如何扱っていいのか判らず、彰子の相手は佐助に任せている。
「そういや、彰子ちゃんの世界にも乞巧奠ってあるの?」
「うーん、一応あることはあるかな。乞巧奠っていうよりも七夕祭だけど。笹に5色の色紙で飾り付けして、短冊に願い事を書いて吊るすの。芸事の上達を願う祭というよりも、年に一度の逢瀬を叶える彦星と織姫にあやかって願い事をする日……って感じかな」
尤もここ数年、七夕なんてスルーしてたなぁ。最後にやったのは小学生のころだったかもしれない。彰子は懐かしく昔を思い出す。
「願い事ねぇ……。もし、今書くとしたら、なんて書く?」
書きたいことは決まってるだろうに、俺も意地が悪い……自分自身に呆れながら、佐助は問いかける。
「今なら……1日も早く戦乱が収まりますように、かな」
彰子の答えは佐助には意外なものだった。
「帰りたい、じゃないんだ」
「うん。帰りたいっていうのは切実な願いだよ。でも、それをこの世界の神様に、七夕に願うのは、なんか違う気がするからね」
彰子はそう言って笑う。何処か寂しげなのは佐助の気の所為ではないはずだ。
「そこはもう一歩進めて、大将が天下統一しますように、って書いてほしいね」
彰子の寂しげな表情には気づかぬふりで、佐助は言う。元の世界に帰りたいのは当たり前なのに、それを寂しいと、面白くないと思ってしまうのは自分の我が侭だ。
「佐助さんたちにしてみればそうだろうね。でも、お館様だと『1日も早く』にはならない気がする。じっくり領民の生活が安定するのを待ってから次に進む方だし……」
統治者としてそれが間違っているとは思わない。そうしているからこそ、征服した地域でも信玄は領主として尊崇を受けているのだから。ただ、そんな信玄だから、彼が天下を統一するには時間がかかりそうだとも彰子は思う。
「かといって、織田とか豊臣とかだと、マジでヤバイ気もするけどね」
自分の世界の織田信長や豊臣秀吉とは全く違っている。自分の世界の二人の極めて悪い特徴的な面だけを強調したような人物。少なくとも入ってくる情報からはそう判断せざるを得ない。
「だねぇ……。まぁ、今んとこ織田も豊臣も目立った動きないけど。……って、彰子ちゃん、この場で血腥い話はやめようよ」
「話振ったの佐助さんでしょうが」
「はい。俺様が悪かったです。んっと……」
取り敢えず話題を変えねばと佐助は思案する。
「彰子ちゃんの世界にも、牽牛と織女の伝説ってあるんだ」
やっぱり話題は七夕関係になる。一応この場には相応しい話題だろう。
「あるよ。年に一度の逢瀬をする悲劇の恋人って伝説がね」
用意されている菓子を手にしながら彰子は答える。尤もその声音には若干の棘があるのだが。
「あれ、伝説に批判的?」
「うん。だって、結婚して浮かれまくって、義務を疎かにして罰を与えられたんだもん。自業自得じゃない。寧ろ年に一度は会えるんだから、そっちに感謝しろって思うわ」
年に一度でも会えるならいいではないか。彰子はそう思う。もしかしたら……自分は二度と恋人に会えないかもしれないのに。
「ふーん……」
彰子の今の状況を考えれば、年に一度会える機会が用意されていることは、充分な贅沢と思えるのだろうと佐助は推測する。
「じゃあさ、もし、彰子ちゃんが織女だったら如何する?」
元の世界に残してきた恋人とやらと年に一度だけ逢瀬が許されたとしたら。佐助はそう問いかける。純粋な興味だった。明らかに自分たちとは違う環境で育ち、それゆえ異なる考え方を持つ彼女ならば、如何するのだろうか。
「うーん……そうね、まず一番好い笑顔で会いたいな。苦労とか寂しさとか感じさせない笑顔で会いたい。純粋に会えたことを喜んで、会っている時間だけを大切にしたい。年に一度しか会えなくても……ううん、年に一度でも会えるのなら、それを糧に生きていけるから。その日の為に他の日を生きていけるから。だから、その日には一番好い笑顔で会いたいし、一番きれいな自分を相手に見せたいって思うわ」
「……前向きだね」
「そうね。でも、人ってそういうものじゃない? 何か楽しいことが先にあると思うから、今が辛くても前に進めるんでしょ」
彰子は笑う。その笑顔に翳はない。先ほどの寂しげな様子は微塵もない。代わりに何処か温かな懐の広さを、心の強さを感じさせる笑顔だった。
「そういえばさ、昔は、えっと……都が政の中心だった頃の言葉では『会う』と『まぐわう』って同じ意味で使われることもあったんだよね」
そう考えると妙に意味深だよねぇと彰子は一人で頷いている。確かに『逢ひみての後の心に比ぶれば昔は物を思わざりけり』という古歌も、『逢う=まぐわう=性交する』と解釈すれば、かなり意味合いは艶っぽさを増す。
「ちょっと……彰子ちゃん、酔ってる?」
行き成りとんでもないことを言い出した彰子に佐助はこれは酔っ払ったのだと判断することにした。普段の彰子ならこんなことを突然言わない。言わないはずだ。言わないと思いたい。
「別に酔ってないよ」
うん、酔っ払いは皆そう言うんだよね。心の中で佐助は呟く。相手は酔っ払いだ。相手は酔っ払いなのだ。自分にそう言い聞かせる。
「でもさー、年に1回しか出来ないってのも凄くきついよねぇ」
出来ないって何がッ!? そう突っ込みたいのを佐助は我慢する。相手は酔っ払い、相手は酔っ払い。心の中で呪文を唱える。
「女はさー、結構しなくても何とかなるけど、男はきついでしょ」
「……彰子ちゃん、そろそろ止めようね……」
旦那がいなくてよかった。心の底からそう思う。幸村は彰子を清楚な女性だととんでもない誤解をしているのだ。夢見ていると思ってもいい。
「だね。もし幸村様がここにいたら『破廉恥でござるぅぅぅぅ』って叫んで躑躅ヶ崎館まで走って行ってるよね」
流石にそこまでは走らないだろう……と思う佐助である。
「佐助さんも充分困ったみたいだし、ここまでにしとく」
ニッコリと彰子は笑う。佐助の意地の悪い質問への報復だったらしい。
「……ごめん、彰子ちゃん」
「こっちこそ、変なこといってごめんなさい」
これでチャラねと彰子は笑った。
けれど、この夜の彰子の寂しげな表情と、優しさと強さを持った笑顔は佐助に少なからず影響を与えた。後に自ら奥州へ向かう程度には。
政宗と彰子が再会する数ヶ月前の七夕の夜のことだった。