合宿が始まったわけだけど、今回は『テニス部』としての合宿である分、GWよりもかなり楽。
そりゃ、人数は今回の方が多いんだけど……。メンバーの濃度は立海sがいない分薄いしね。
それに何より、場所が跡部の別荘ではなく氷帝の合宿施設。専門の寮監と料理人がいるわけで、私は普段どおりのマネージャー業務だけやればいい。否、タオルの洗濯なんてものもしなくていいから、その分負担は軽減されてる。
しかも、面倒見る人数は普段の7分の1近くに減ってるわけだしね。普段200人超のメンバーを見てることを考えれば、30人程度、軽い軽い。
まぁ、今回は全国大会に向けての調整だから、内容は濃いんだけど。
それに5年ぶりの全国大会ということもあって、レギュラー・準レギュラー以外の参加者たちは『マネージャーはレギュラーの面倒を見てくれればいいよ。俺たちは自分たちでやれるから。困ったときだけ呼ぶからさ』なんて嬉しいことを言ってくれた。……参加している大半が、入学前から知り合っていた1年生だったというのも大きいかな。
とまぁ、そんなわけで、かなり時間に余裕のある今回の合宿。しかも、飽くまでも調整だから、そんなに夜遅くまでハードな練習をするわけでもなくて、午後6時には練習を終えて、7時半には食事まで終わるし。
しかも流石氷帝の合宿施設だけあって、各個室にバストイレ付きだから、お風呂だって好きなときに入れるし……。
こんなに楽でいいだろうか……なんて考えてしまう。
食事も終わり、午後9時からのミーティングまではまだ1時間ちょっとある。食事の準備をしなくていい分時間に余裕があったから、今日の分の試合のスコア整理も終わってるし……何しよう。
こんなことなら小説でも持ってくるんだったなぁ……。
ぼーっと時間を持て余していると、不意に誰かがドアをノックした。
侑士……なわけないよね。
GWの合宿の時には、侑士やにおちゃんだけではなく、ジロちゃんやがっくんたちも部屋に遊びに来てくれてたんだけど、流石に今回はテニス部としての合宿だし、しかも……私が『彼氏持ち』になった所為か皆遠慮してるみたいだし。
特に侑士とは……本当に距離が離れてしまった。今まであんなに近くにいたのに。今までが近かった分、とても遠くに行ってしまったように感じる。……そう感じるのは、私だけなんだろうな。侑士の態度はいつも通りなんだから。
「はい?」
ノックに応じてドアを開けると、そこにいたのは玲先輩で。まぁ、当然といえば当然かな。
「こら、彰子。誰かも確かめずにドア開けるなんて無用心だろ」
玲先輩はメッと叱るように言う。
「でも、皆よく知ってるメンバーで危ない人なんていないし、玲先輩とのことを知ってるのに夜に私の部屋に来る人なんていないでしょ」
それでも一応女の子の配慮として、部屋にいれずにドアの前で立ち話。
「それはそれ。女の子としてちゃんと危機意識持てって言ってるんだよ」
女の子としての危機意識……かぁ。それが欠如してたから、今みたいな、玲先輩とのお芝居をする破目になってるといえなくもないか……。
「で……先輩は何をしに来たの?」
「一応恋人同士なのに、フリータイムに別行動ってのも変だろ?」
ニッコリと笑う玲先輩。まぁ、それもそうかな。付き合い始めて1ヶ月にも満たない、初々しい(?)出来立てカップルなら、四六時中一緒にいたいものだよね。
「少なくとも、忍足や跡部、滝といった鋭い連中が俺と彰子が恋人だって確信持つようにはしておかないと、全てが水の泡になってしまうからな」
そうだね……。跡部や滝が時々不審そうに玲先輩と私のこと見てるもんね。探るように、というか……。私たちが本当に付き合ってるのか、恋人なのか見極めようとしてるかのように。
彼らにばれたら意味はない。私が玲先輩と付き合ってるのは、跡部たちを煩わせないためなんだから。
「まぁ、そう言う口実で、彰子と一緒にいたいってだけなんだけどな」
玲先輩は明るく笑って言う。その声が優しくて、自然と私も笑う。さり気ない気遣いがとても上手だ、玲先輩。
これで実は14歳も年下なんて思えないくらい、玲先輩は大人だと思う。私が幼いだけかもしれないけど。
ああ、そうだっけ。私、本当は32歳……。なんだか最近は忘れてた。忘れても……いいのかな?
「というわけで、彰子、テニスしよう」
見れば、先輩の手にはラケットバッグ。
「……日中あれだけテニスしてて、まだやるの?」
「あれは練習。これは遊び。しかも彰子にテニスを教えるためという口実でボディタッチ出来る絶好のチャンス」
「……下心口に出さないように」
「あれ、出てた? 俺もまだまだだなぁ」
玲先輩ったら……。ホントに優しいんだから。
「服はこのままでもいいかな……。じゃあ、行きましょうか」
先輩の気遣いに答えるべく笑って応じる。時間持て余してたのも事実だし。
タオルと一緒にノートPCも持って、そのままミーティングに直行出来るように準備する。
「彰子、テニスの経験は?」
「実技は……以前、オートテニスに行ったくらいかな。軽く打つくらいならなんとか」
尤も、あっちの世界にいた頃の小学生時代ですから……20年くらい前の話だけどね。
「そうか、残念。ラケットの握り方を手取り足取り腰とり教えてあげようと思ったんだけどなぁ」
先輩の口調は至って軽いものでクスクスと笑いが漏れる。
「先輩ってば下心だだ漏れしすぎ」
「明るいスケベのほうが警戒心持たれないからね。紳士で通してもいいんだけど、彰子には素の俺を知っていて欲しいし」
「なんとなーく判ってきた。以前は玲先輩のこと穏かそうな人って思ってたけど、意外にいたずらっ子だってこととか」
それが本当の素ではなく、私の心を軽くしようとして態とそうしてくれてることも。
「軽くフォームのチェックしたら、早速打ち合ってみるか」
コートについて軽く玲先輩が基本的なこと──グリップの握り方とかフォームとか──をチェックしてくれて。
「ホント、残念。彰子が何も知らなかったら密着するチャンスだったのに」
なんて、明るいスケベ発言してくれちゃって。
これも玲先輩流の気遣いの1つなんだろうって思う。これくらいのことは別に恋人同士でなくても口にしたりするし。
「流石にマネージャーが何も知らないと拙いでしょ」
基本的なことくらいは知っておかないとね。それに最低限レギュラーのベスト時のフォームくらいは判るようにしておかないと。ベスト時のフォームを知ってればアドバイスは出来ないにしても調子崩してるとか、そういうことには気付けるだろうし。
「よし、軽く打ち合おうか」
「はい、お手柔らかに」
コートに入り、打ち合う。
玲先輩は強すぎず弱すぎないボールを打ち返しやすいところに打ってくれる。時々は左右や前後に走らされたりしつつ、それでも私が打ち返してラリーが続く程度に調節されていて。私が打ち返したときにはボールの落ちる地点にいて余裕綽々。
なんか勿体無いなぁ。
玲先輩、高校でテニス辞めるって言ってたし。指導者になって後進の育成とか向いてそうなのに。
とはいえ、玲先輩は『テニスは高校までの部活で飽くまでも趣味』とはっきり言ってる。代々政治家の家系で、玲先輩自身も政治家を志してる。
「政治が家業だから、強制されて跡を継ぐわけじゃない。親父や爺さんの背中を見て育った。その上で俺は将来政治家になることを決めたんだよ」
玲先輩はそんなこと言ってた。玲先輩なら『政治屋』や『政治業者』みたいなのにはならずに、本当の政治家になると思う。
先輩は家柄もあるんだろうけど、もう確り将来を見据えてる。私は……どうするんだろう?
まだ15歳。あっちの世界にいた頃は漠然と小説家になりたいなんて思ってて……書いてたなぁ。
でも、結局挫折して、OLになって……そのまま、漠然と生きてた。
折角のやり直し人生なんだから、漠然と、じゃなくて精一杯生きていきたい。
そんなことを考えている。将来のことはまだ決めていないけど、少なくとも今は高校生活を、テニス部のマネージャーとして精一杯動いていきたい。玲先輩とのことも、そのための選択の1つ……の心算なんだけど、これが正しい選択だったのかは今でも迷ってる。ベストではないにしても、よりベターな選択だとは思いたいんだけど。
「──デートの邪魔して済みませんが、隣のコート使わせてもらいます」
10分ほど打ち合った頃、そう声がして……。侑士と跡部の姿。
ううん、声をかけられる前から侑士がコートに向かってきてるのは気付いてた。
来ないで欲しかった……。玲先輩と2人でいるところを侑士に見られたくなかった。
玲先輩と私が『付き合ってる』ことは今や全校生徒が知ってるといっても過言ではないことだけど……それでも見られたくはなかった。
我侭なことだって判ってる。自分から侑士に『玲先輩と付き合うことになった』って報告したんだし……。
それに、跡部や1番側にいた侑士が信じなければ噂の信憑性はがた落ちになるから、私たちの『策』としては、彼らが2人で過ごす私たちに遭遇するのはマイナスではないこと。彼らに信じさせるためにも。
だからこそ、玲先輩は『フリータイムに2人で過ごしてます』と合宿参加者に見せることで、噂の信憑性を高めようとしてるんだ。
「今から練習か? お前等も頑張るな」
玲先輩は2人にそう声をかける。侑士と跡部はジャージ姿で2人で自主トレをしにきたってところだろう。
「俺たちは遊んでるだけだから気にするな」
玲先輩の言葉に侑士たちは頷いて、軽く打ち合いを始める。多分試合形式で練習するんだろうけど、そのウォーミングアップってところかな。
先輩とまたラリーを始めるけど、なんだか楽しめない。時々、侑士と跡部の視線を感じて落ち着かない。どこか探るような視線は跡部……かな。私たちが本当に付き合ってるのか見極めようとしてるんだろうか?
落ち着かない私に気付いたのか、玲先輩はラリーを止める。
「彰子、スコア頼むな。俺が審判やるから。折角の跡部と忍足の試合なんだから見なきゃ損だろ」
突然の先輩の言葉に驚いてぎこちなく頷く。
楽しめなくなってたから、確かに助かりはするんだけど。
でも、出来るなら部屋に戻るとか、サロンに行くって選択肢を出して欲しかったな。
「いいんですか?」
跡部がやっぱり何処か探るように言う。付き合い始めたのが突然だったし、それまで全く私が玲先輩を意識するそぶりなんて見せてなかったから無理もないかな。でもなんでそこまで跡部が気にするかな。部の雰囲気を壊されないように警戒してる……とかかな。
「ああ。晩生な彰子はまだ俺と2人っきりってのは苦手っぽいから、お前らが来てちょっとホッとしてるらしいし。というか照れてるのか」
玲先輩は明るい声で言う。
多分、侑士が現れた時点で落ち着かなくなってる私の態度に不信感を持たれないためのフォロー……かな。
「せやったら、お願いします」
侑士はいつもと変わらない声。至っていつもと変わらない態度でコートに立ち、構える。
「じゃあ、始めようか」
先輩のコールを合図に跡部のサービスで試合が始まる。
私もノートを開きスコアをつける。スコアをつけるためにボールを目で追い、意識がマネージャーになっていく。
違う。意識的にマネージャーになろうとしてる。そうしないと色々考えてしまうから。それに侑士だけ見ていたいと思ってしまうから。
侑士を見ているのが嬉しくて、でも辛くて、なんだか寂しい。
自分で玲先輩と付き合うことを選んだのに、なんか我侭だなぁ……って自分に呆れてしまう。
侑士に友達以上に想われたいって……。
恋する乙女としてはごく普通のことなのに……でも、私は『彼氏持ち』なんだよね。好きな人以外と、仮令本人たちの間ではお芝居としての合意が出来てるとはいえ付き合ってるんだから。
でもね、ちょっとずるいことも思ってたりする。今まで侑士はずっと私を友達として(多分に保護者感覚もあるだろうけど)見てきてた。侑士の中で私は跡部たちと同じ『仲間』という括りの中に入ってたと思う。女としては意識されてなかったかなぁ……って思う。
だけど……『彼氏』が出来たことで少しでも侑士が私の女の部分を意識してくれたらいいな……って思う。そうすれば、少しは私にも希望が出来るかもしれない。
ううん……ダメだ。もし、侑士が意識してくれて私に少しでも想いを向けてくれたとしたら……それは侑士を傷つけるだけ。私は玲先輩の『彼女』だから。
玲先輩との関係は本当の恋人じゃないから、世の普通の恋人たちのような喧嘩やトラブルが起きるはずはない。お芝居なんだから、お互いに理想的な彼氏彼女の関係を演じる。玲先輩に言わせれば『彰子の目を俺に向けさせるチャンスだから、精一杯好い彼氏ぶりを発揮させてもらうよ』ってことだから、実際のところこれまでの玲先輩の行動は女の子にとってはかなり理想的な彼氏像だろうし。私だって、伊達に年齢をあっちの世界で積んでたわけじゃないからそれなりに理想的なカップルの片割れの姿を演じられていると思う。
少なくとも玲先輩が卒業するまではこのお芝居は続く。他の、本当の恋人たちのように別れるなんてことはない。だから……もし、侑士が私を特別に見てくれたとしても、侑士を傷つけて悲しませるだけにしかならない。
恋をするって、面倒くさい。
ちょっと前まではこの久しぶりの恋を楽しんでた。侑士によく見られたいって、ちょっといつもより身だしなみに気を配ったり、お弁当作りに力入ったり。ああ、我ながら恋する乙女ねーなんて、くすぐったい気分になってた。
侑士に想い返されることを望んでいなかったわけじゃないけど、期待はしてなかった。友達でいいって思ってた。それまでの関係を壊したくなかったから。気まずくなったりしたら嫌だから。
でも、結果的に今変わってしまってる。侑士は変わってない。私が変わっただけ。
これが……玲先輩と本当に付き合ってたなら、また違ってたのかな。私が望んでいたように、侑士との関係はこれまでどおりの『いい友達』でいられて、楽しく過ごせてたのかな。
玲先輩のこと、好きになれたらいいのに。侑士への想い以上に玲先輩のことを好きになれたらいいのに。
そうすればどれだけ楽になるだろう。
玲先輩は私のことを好きだって言ってくれてる。私が好きになれば即両想いの本物の恋人同士にシフトチェンジするだけ。
玲先輩は優しいし大人だし、包容力もある。見た目だって声だってかなりいいほうに入るし。彼氏としては理想的な人だ。
玲先輩に恋すれば……私を今思い煩わせている問題は全て解決して、楽になれるのに。
ずるいな、私。
楽になりたくて、玲先輩を好きになれればいいのになんて思ってる。
ああ、本当に恋って面倒だ。