プロローグ
カヌーン魔導王国は法律の多い国として有名である。王侯貴族は『王国特殊法』によって、その身分と地位に相応しくあるべく様々な制約が課される。尤もこの制約は『
また、王国特殊法によって、国民は王侯貴族の横暴から守られている。身分を笠に着た横暴や搾取は特殊法監督局に通報すれば直ぐに対処してもらえるのだ。だから、カヌーン魔導王国は庶民には暮らしやすい国ともいわれている。
その法律のおかげで、他国で問題になる真実の愛という名の不貞だとか、それによる婚約破棄茶番だとか白い結婚詐欺だとか、入り婿による婚家乗っ取り未遂とか継母による真の後継者苛めだとか、理不尽な兄弟姉妹間格差だとか、そういったナーロッパあるあるな事象は大問題に発展する前に速やかに処理されているのである。
そんなカヌーン魔導王国の王家、カヌーン王家は殆ど知られていないが試験の多い王家である。試練ではない。試験である。ペーパーテストである。
歴代国王及び大公はこの試験をクリアしてきた強者たちだ。或いはこの試験の出題者である正義と裁きの神アダーラ(法と秩序も司る)、結婚と出産の神ウィラーダ、契約の神タアーコド、駆け引きと詐欺の神タージェル(本来は商業神)、真実と虚偽の神イクテヤールによって、試験を受けるまでもなく問題ない人物と認定された者だ。
そして、試験に不合格となれば、様々な未来が待っている。共通しているのは王族でも貴族でもなくなるということだろう。試験によっては合格するまで何度でも受験可なものもあれば、一発アウトなものもある。
カヌーン王家は王国特殊法に縛られるだけではなく、王家に相応しくあるために、試験という目に見える形で淘汰されているのだった。
第三王子カーインの場合
「何で余がこんなものを受けねばならぬのだ」
ブツブツと文句を言いながら、第三王子カーインはテスト用紙をめくった。
王家に連なる者は定期的に『王族認知度及び理解度判定』という試験を受けなければならない。これは神々との契約に基づくものであり、受けなければ即王族離脱となる。
試験を受けるのは準成人となる魔導学院入学の年もしくは婚約者が出来た年からである。但し、7歳未満には課されないので生まれた時から婚約者がいても実際に試験されるのは7歳からだが。
カーインは未だ婚約者がいないため、学院入学の今年になって初めて試験を受けることになった。
面倒臭そうにカーインは試験問題を眺め、仕方なくペンを手に取った。
【第1問 名を書け】
【第2問 母親の名と身分を書け】
【第3問 己の身分を書け】
【第4問 成人後の己の役割を書け】
問題はこの4問だ。実に下らないとカーインは鼻で笑う。
【第1問:カーイン・ボルニ・カヌーン】
サラサラと汚い字で書く。勉強が嫌いなカーインの文字はお世辞にも綺麗とは言えない。王族の品位の欠片もない悪筆だった。
【第2問:チャンフ・ボルニ・カヌーン、王妃】
答えを書いた瞬間、解答用紙が鈍く光ったことにカーインは気づかなかった。
【第3問:第三王子かつ王太子】
【第4問:国王となり皆を従える】
続く第3問・第4問も記入した瞬間にやはり鈍く光っているが、この時もまたカーインは気づかなかった。
「おい、終わったぞ」
椅子にふんぞり返り、カーインは試験監督である役人に告げる。役人は解答用紙を受け取った瞬間、通信魔道具で騎士を呼んだ。同時にカーインが座っていた椅子からは足と腕を拘束する魔道具が発動し、カーインは椅子から立ち上がることが出来なくなった。
「おいっ! これはどういうことだ! 貴様反逆者か!!」
カーインは喚くが、役人はそれを気にも留めない。彼は解答用紙が鈍く光ったことに気づいていた。そして解答用紙を見て納得した。鈍く光るのは不正解である証だ。
「それでは答え合わせをいたします」
騒ぐカーインを気にもせず、役人は告げる。
「流石に第1問は正解です。が、それ以降は全て間違いですな。ご自分のことも母親のことも判っておられなかったようだ」
カーインの母親は王妃などではない。愛妾に過ぎず、王家の姓であるカヌーンを名乗ることは出来ない。ゆえに正解は【チャンフ・ボルニ、愛妾】だ。
そう告げられて、母親が愛妾であることを知らなかったカーインはショックを受ける。
酔いつぶれた国王が誤って手を付けてしまったメイドがチャンフなのだ。酔いつぶれた国王の寝室に酔い覚ましの薬を届ける名目で部屋に入ったチャンフは催淫効果のある香りをまとい国王の介抱をした。そして国王は欲望を解放してしまったのである。
その1回のお手付きで身籠ったため愛妾として後宮の片隅に部屋を与えられたが、そんな経緯で愛妾になったのだ。国王がチャンフを寵愛することはなかった。それなのになぜかチャンフは自分が寵愛されていると思い込んでおり、息子に『低い身分の出身である王妃を守るために後宮から出ないように言われている』『身分の高い側室たちから守るために中々会いに来られない』と告げていたらしい。
ショックを受けているカーインをスルーして役人は更に答え合わせを続ける。
「第3問の身分は、第三王子、のみですな。王太子は第二王子のカルフ・ファクル・カヌーン殿下です。ゆえに第4問も間違い。貴方は愛妾の子ですから王位継承権を持ちませんし、成人後は臣籍降下し、母親の実家と同じ男爵位を授けられて王領から村2つの領地を与えられるが正解です」
初めて知る真実にカーインは酷くショックを受けている。しかし、本当は『初めて知った』わけではない。彼の教育係はちゃんと伝えているのだ。母親が愛妾に過ぎないことも、初めから王位継承権を持たないことも、成人後は臣籍降下して男爵となり、小さな領地を与えられることもきちんと何度も伝えられている。
ただ、カーインがそんなはずはないと思い込み、聞いた側から忘れているだけである。
答え合わせは終わったところで、室内に厳めしい姿の騎士たちが入室した。そして、椅子に拘束されているカーインを椅子ごと持ち上げ、運び出した。呆然としていたカーインは急に動いたことでハッとして騒ごうとしたが、声を発する前に催眠魔法を掛けられて意識を失った。
カーインが気づいたのは薄暗い部屋だった。慌てて周囲を見回せば、母と母の両親である祖父母と母の兄である伯父夫婦がいた。全員がカーインと同じように拘束されている。
「これから貴方方には徹底した教育を施します。自分たちの正しい身分と地位を理解するまでこの教導室からは出られません。正しく理解し、身の程を知った方から日常生活に戻ることが出来ますから、頑張ってくださいね」
役人──宮内庁認知理解教導課課長──は教鞭を持ちニッコリと笑った。
「再教育? 即処刑ではなかったのですか?」
王太子妃であるカラリェーヴァは夫である王太子カルフに尋ねた。第三王子の解答は簒奪を企んだとして反逆罪に問われても仕方のないものだった。
実際、試験監督官からの第一報時点では国王も王太子も各部署も第三王子と生母の愛妾に毒杯を与える方向で決まりかけていた。しかし、実際には何の動きもしていなかったことから、単なる妄想として処理され、比較的軽い処罰となったのである。
実際、母方の祖父母も現男爵である伯父夫婦もきちんと立場を理解しており、教導が始まった翌日には日常生活に戻っている。ただ、教導過程で母の愛妾とカーインが知能的に問題があり、脳内に花畑が広がり物事を自分の都合のいいように解釈することが判明した。そのため、教導には時間がかかっているらしい。最終的には日常に戻ることなく、それぞれ戒律の厳しい修道院で神に仕える生活になるだろう。
「実害がなかったからね。今回は神々から簒奪を企んではいないこと、企むほどの胆力も知能もないから、無暗に血を流さぬほうがいいとのお言葉もあったんだ。王家なんて様々な業を背負っているから、不必要なものまで背負う必要はないとの仰せだったんだ」
単なる脳内花畑親子のために王家が罪を負う必要はないと守護神たちが判断したというわけである。カヌーン魔導王国の守護神たちは真面な王族や貴族には寛大であり慈愛に満ちているのである。
「然様でしたのね。カルフ様が余計な苦しみを負わないのであればよろしいのです。……弟君たちは大なり小なり問題をお持ちのようですもの……」
溜息をつく愛妻にカルフは苦笑した。
第四王子カスールの場合
現国王ザイームには5人の王子と4人の王女がいる。第一王子カサムは側室ミサーク妃の子で王兄として大公となることが決まっている。第二王子カルフは王妃サダーカの子で第一王子とは1歳違いの兄弟だ。ミサーク妃がよく弁えた女性であったことから兄弟仲は良く、第二王子カルフが王太子となってからは第一王子カサムはその補佐を担っている。第四王子カスールと第五王子カーエドは隣国から押し付けられた側室の子で、兄2人とは年が離れていることもあり、然程交流はない。なお、王女4人は王妃腹3人、第一王子母の側室腹1人である。第三王子カーインは愛妾腹のため、他の王子王女と違い王位継承権を持たないことから全く交流はなかった。
押し付けられて側室となった母を持つ第四・第五王子たちである。その性質は推して知るべしというところだった。押し付けられるような王女と、隣国に瑕疵のある問題王女を押し付けるような王家の血を引き、その関係者に育てられているのである。問題がなかろうはずがなかった。
第四王子カスールは15歳でアドワ侯爵家の嫡女アフマルと婚約した。魔導学院に入学した年に婚約が決まったのだ。カスールの母側室が強く願い、強引に結んだ婚約である。将来はアフマルがアドワ侯爵となり、カスールは入り婿として王家と侯爵家の仲を良好に保つ役目を持つ。そして王家の血を引く次代侯爵の胤を齎す。つまり、侯爵家側からは何の期待もされておらず、種馬として仕方なく受け入れただけの婿となるはずだった。
そんな彼も三度目の『王族認知度及び理解度判定』を受けることとなった。今年度魔導学院を卒業する彼にとって、これが最後のチャンスだったのだが、それを理解する頭は彼にはなかった。
既にアドワ侯爵家ではアフマルの新たな婚約者選定を密かに始めていることをカスールも母側室も気づいていなかった。国王も王妃も王太子もアドワ侯爵家の動きを知っているが咎めていないことにも彼らは気づきすらしなかった。それが彼らの将来を決めることになる。
そう、カスールはこれまで二度のテストでは不合格だったのだ。カスールが受けるテストは婚姻の前年まで何度でも受けられるものだ。だが、彼の態度や行いから今年も不合格であろうことは関係者全員(カスール母子を除く)予想していた。
「はぁ、またこのテストか。面倒臭い」
試験会場になっている会議室でカスールは溜息をつく。二人の兄は既にこの試験は免除されている。全課程で合格判定がなされているらしい。弟の第五王子は今年から別室でテストを受けるそうだ。そういえば、昨年からテストを受け始めた第三王子はテストの後学院を辞めて神に仕える道を選んだらしい。まあ、愛妾の子であるから、高位貴族との結婚も望めず、将来に不安を持ったのだろうとカスールは気にしなかった。気にしていれば、多少は何かが違ったかもしれない。
【第一問 婚約者の氏名を爵位と合わせて記入せよ】
毎回この問題だとカスールは呆れたような表情になる。何の意味があるのか判らない試験だと、カスールは面倒臭そうに解答を記入した。意味が解っていないから毎回不合格なのだということを理解していない。
【第一問:アフマル・アドワ 侯爵家】
解答用紙が鈍く光る。それに気づかず、カスールは2問目を見る。
【第二問 この婚約の経緯を記せ】
【第二問:アフマルが美しく精悍な俺に一目ぼれし、父侯爵に我儘を言い、侯爵が父国王に頼み込み成立した】
解答用紙が再び鈍く光る。これにも気づかずカスールは次の問題を見た。いや、正確には鈍く光っていることは気づいているが、毎年全問そうなので気に留めていないのだ。
【第三問 婚姻後の己の名を書け】
【第三問:カスール・レッス・カヌーン】
三度光るが、やはりカスールは気にも留めない。
【第4問 婚姻後の己の役割を書け】
【第4問:王弟として兄王の補佐】
結局全4問全てが鈍く光った。つまり、全問不正解である。その事実はすぐさま試験管の持つ魔道具により国王とアドワ侯爵に伝えられた。
そして、国王と侯爵はその場で婚約解消の手続きを完了させ、2年間のアフマルの精神的苦痛及び無駄な時間を過ごさせたことへの慰謝料の支払いが行われた。
「では、カスール殿下。今年でこの試験は終了となります。ですので、今年は答え合わせをいたします」
試験監督官は手に持った魔道具のボタンを押す。するとカスールの体は椅子に縛られた。更に猿轡も嵌められる。暴れて暴言を吐くことが予想されたための措置である。
突然のことにカスールは当然、どういうことだと叫び暴れようとするが、既にその防止措置が取られているので何もできない。
「まず、第一問。婚約者の名前を正確に覚えていないなんて最低限の礼儀も敬意もないんですねぇ。流石はナドバ妃の子だ。アドワ侯爵令嬢のお名前はアフマル・カミリヤ・アドワ様ですよ」
嫌味を交えつつ試験監督官は言う。この試験監督官は宮内庁職員で、アドワ侯爵家の分家の出身だ。本家の姫君を大事にしないカスールのことを常日頃苦々しく思っていたのが、ここにきて漏れ出てしまっている。
「第二問、婚約の経緯ですが……よくもこんな勘違いが出来ますよね。アフマル嬢はあなたに常に礼儀を尽くした。そう、表面的な対応しかしていないのに。正解はナドバ妃が強く願い、実家の公国の権威を使って国際問題になると脅して脅して脅した結果、仕方なくアフマル嬢が受け入れてくれた、ですよ。アフマル嬢は欠片もあなたに恋情など懐いてませんし、侯爵も陛下に頼み込んだりしてません。寧ろ陛下が側室の無礼を謝り、それでも頼むと頭を下げて乞い願ったうえで成立した婚約です」
実はこの婚約に至る経緯は父王から説明されている。しかし、母から何度もアフマルが一目ぼれして強く願った婚約なのだと聞かされていた。自尊心だけは高い自意識及び自信過剰なカスールは自分に都合のいい母の言葉を信じたのである。
「第3問と第4問はまとめて答え合わせですね。婚姻が成立していたら貴方の名はカスール・レッス・アドワになるはずでした。そして、入り婿として侯爵となるアフマル嬢を支え、王家との絆を確かなものにする、それが役目だったんですよ。まぁ、ぶっちゃけるとアフマル嬢の邪魔をせず、種馬として王家の血を引く子を作るってことですね」
自分が信じてきたことを悉く否定され、カスールは椅子をガタガタと揺らす。猿轡をされているから言葉を発せず、うーうーと唸り反論しようとする。
この美しくも精悍な煌く王子である自分が愛されていないなんて信じられない。優秀で有能な自分が王族でなくなるなど有り得ない。カスールはそう思っていた。
なお、優秀で有能という評価は母からしか聞いたことがない。だが、自分が優秀で有能なのは当たり前だから、侍従たちも教師たちも何も言わないのだろうと楽観的なことを考えていた。
「今回の試験も不合格でしたので、殿下とアフマル嬢の婚約は解消されました。殿下はベンナン王国の女王の第7王配として婿入りしていただきます」
第7王配という有り得ない言葉にカスールはさらに激しく椅子を揺らす。真面目に勉強していないカスールはベンナン王国と言われてもピンと来ず、7人目の王配ということにしか反応しなかった。
ベンナン王国は東方の歴史ある王国でカヌーン魔導王国の友好国だ。国境は接していないためそこまで気を遣う国ではないが、友好関係は維持しておきたい。そのためには婚姻政策は有効な手段である。現女王は有能ではあるが淫蕩の気が強く、そのために王配が複数人置かれているのだ。既に成人した王太子もいる年齢で、母側室よりも年上である。
そんな年上女王から『友好関係維持のために、問題ある王子を引き取ってもよいぞ』という縁談なのか廃棄物引き取りなのか判らない申し出があったのは1年前のこと。2回目の試験不合格の後である。水面下で話は進み、今回の試験不合格の際は第7王配として出荷されることが両国の間で決まっていたのだ。
信じがたい、信じたくない話を聞かされたカスールは脳の許容量を超えたのだろう。意識を失った。受け入れがたい現実から逃避したともいえる。そしてカスールが目覚めて騒ぎ出す前に全ての手続きが終了し、カスールは見た目だけは華々しい行列を仕立ててベンナン王国へと婿入りしていったのである。
なお、婚約を解消したアフマルは婚約者のいなかった同格侯爵家の次男と婚約した。幼馴染であり、カスールとの婚約がなければ彼と婚約していたはずだったため、両者の合意も両家の合意も手続きも速やかに進んだのであった。
愛する息子を遠い異国に出荷されてしまった側室ナドバはショックを受け寝込んだ。しかし、彼女の悲劇はこれでは終わらない。もう一人の息子も不合格を重ねることになるのだ。
第五王子カーエドの場合
1年前、兄である第四王子は試験に不合格となり、遠い国へ婿に出された。しかも第7王配という、いてもいなくてもいい、どうでもいい配偶者として。今彼がどうしているのか第五王子であり弟でもあるカーエドは知らない。
しかし、兄の愚行から学んだことはある。試験には建前も必要なのだと。
試験初年度は馬鹿正直に解答してしまった。
【第1問 婚約者の姓名・爵位を書け。→マルジャーン・アーディ・ハージェス、侯爵家】
【第2問 婚姻後の己の立場を書け→臣籍降下して大公となり兄王を支える】
【第3問 婚姻後、どのような夫婦関係を築き、どのように家門を運営するのか→マルジャーンは不細工なので、お飾りの妻にして、可愛くて美しくて胸の大きな愛人を寵愛する。マルジャーンは頭だけはいいので、領地運営は任せて、愛人と楽しく暮らす。子どもは愛人に産ませる】
【第4問 嫡出子にはどのような教育を施すのか→王家から来るだろう教育係とマルジャーンに任せる】
この解答に試験官は呆れ、答え合わせという名の再教育があった。自分が将来得るのは大公位ではなく公爵から伯爵のいずれかであること。爵位は臣籍降下までの公務の様子を見て決めるらしい。
婚姻後に関してはアルジャーンの実家ハージェス家の支援があってこそ臣籍降下し新たな家を興すことが可能であるとも言われた。つまり、アルジャーンあってこその新家門であるため、アルジャーンの機嫌を損ねてはいけないし、当然ながら後嗣はアルジャーンの子どもでなければならない。
愛人は持つなとは言わないが、せめて後嗣・スペア・嫁出し要員の3人の子を持つまでは避けるべきだし、愛人は徹底的に隠すか、逆に正妻アルジャーンの許しを得てから作るかのどちらかにすべきとも言われた。
唯一第4問は褒められた。いや、褒められたといっていいものかは微妙だ。よく己を判っている、カーエド殿下は子どもの教育には関わらないほうが子供たちのためになるとまで言われてしまった。
試験の内容については母が付けた教育係や父から『阿呆か』と呆れられ叱られた。だが、己惚れが過ぎて婚約の意味を全く理解していない兄の第四王子に比べたらマシとも言われてしまった。兄は試験は全問不正解で、その後の講義を経ても何も理解していないらしい。あんなのと母も同じ兄弟だとはと嫌になったが、カーエドは兄を反面教師にすることにした。
そして、翌年の試験ではカーエドは完璧な答案を作り上げた。心を入れ替えたわけではない。だが、この試験をクリアすれば将来はハージェス侯爵家の支援を得て恐らく公爵位を与えられるはずだ。
臣籍降下してしまえば、王家の教育係たちにうるさく言われることはない。自分の好きにできる。カーエドはそう思って、内心を隠した完璧な答案を作り上げたのだ。
来年の卒業を前にした試験も同様にすれば、自分の将来は安泰だとカーエドは楽観視していた。
しかし、この魔道王国の行政府がそんなに甘いわけはないのである。
兄である第四王子が遠い異国の第7王配として婿入りしてから2年後。カーエドは最後となるであろう試験に臨んだ。
試験問題はこれまでと同じ4問。よってカーエドは昨年と同じ模範解答を記入していった。全く同じ文章では怪しまれるため、多少文言を変えるという小手先の技も使っている。
無事試験も終了し、安心したカーエドに試験官は『では答え合わせをいたしましょう。カーエド殿下、第3問の答えを読み上げていただけますか』と問いかけた。これまでにはなかったことである。だが、今年は最後だからこういったことがあるのかもしれないとカーエドは答案用紙を持ち、それを読み上げた。
──はずだった。
「婚姻後はどブスなアルジャーンなんて屋敷に閉じ込めるに決まってるだろ。まぁ、王家主催の夜会にはあの醜女を連れて行くしかないだろうけど、それ以外は美しい愛人のワハシュを連れて行くさ。ああ、館の女主人はワハシュだって周知しとかないとな。あの醜女は仕事だけさせればいい。学院でも首席とか俺を馬鹿にしてるしな! 領地経営だってあいつがやればいい。あいつにはメイドの服でも着せて、ワハシュをたっぷり飾り立ててやろう! そのためにも税は厳しく取り立てねぇとな。あの醜女の持参金も支援金も俺とワハシュで楽しく使うぜ。子どもはワハシュに産ませるけど、あの醜女が産んだことにしないとな。じゃないと侯爵家がうるせぇだろうし。公爵様に逆らうなんて生意気だから、なんか罪でも着せて潰すか。いや、潰したら金を出させることもできねぇか。まぁ、俺様とワハシュのために尽くせばいいんだよな」
決して表に出してはいけない本心がツラツラと口から零れ落ちる。慌てて口を閉じようとしても手で塞ごうとしても身体が動かない。忙しなく目をギョロギョロと動かすが、本音の暴露を止めることは出来ず、カーエドは半ば恐慌に陥っていた。
「うわぁ、醜悪だねぇ。カヌーン王家にこんなの生まれたのはやっぱ隣国の血のせいかなぁ。初代のサフィーナ女王が知ったら激怒するか大泣きするよねぇ」
そこに緊張感のない声が響く。いつの間に現れたのか黒いローブで顔を隠した男がカーエドの目の前にいた。
「イクテヤール様、突然現れないでください。驚きます」
「ちっとも驚いてないじゃん。神様に嘘ついちゃダメだよー」
クスクスと笑いながらイクテヤール、真実と虚偽の神は試験官に言う。カーエドが本心を暴露したのはこの神の御業だった。
「こういう小賢しいのが数世代に一人はいるんだよねぇ。本音と建て前の使い分けが悪いわけじゃないけどさ。婚姻関係でのこれは拙いよね。この国の副主神は結婚と出産の神だし、カヌーン魔導王国になる前は恋愛や婚姻絡みで国が滅びたくらいだし。本音と建前の使い分けとその強かさは王族としては間違ってない。でも、この国では唯一婚姻に関してだけは誠実でないとね」
イクテヤールはそう言ってカーエドにニッコリと笑いかける。そして彼に魔法をかけた。それは断種魔法だ。
「君の血を残すことを僕は認めない。だから、君に子どもは作らせない。婚姻も許さない。役人、国王に伝えて。コレは政治的には無能じゃないし役に立つだろうけど、家庭を持たせてはダメだ。確実にウィラーダの怒りを買うことを仕出かすよ。だから、生涯独身で兄王に忠実に仕えさせるといい。ああ、性根が鍛え直されて妻や子を持っても問題なくなれば、その時は断種魔法を解いてあげるよ。お前の心根次第だ、カーエド」
最後には凄みを利かせて睨まれ、カーエドは真っ青になって何度も頷いた。
第五王子カーエドは生涯独身で兄王の治世を支えた。
彼の犯した失敗に対して罰が重いという見解は他国では多く見られた。尤も、神々の下した罰であるから、表立って言うことはなかったが。
だが、カヌーン魔導王国は、その前身であるアクバラー王国時代のやらかしが酷かった。そのやらかしの殆どは婚姻絡みのものだ。真実の愛ごっこによって国は衰退し混乱し、結局滅びた。その轍を踏まぬため、カヌーン魔導王国は婚姻や恋愛に関して一貫して厳しい姿勢を取っているのである。
しかし、5人の王子のうち、真面に試験をクリアしたのは2人だけだ。カヌーン王家の資質が問われる日も遠くないかもしれない。
それでもアクバラー王国時代とは比較にならないほど真面な王家ではあるのだ。だが、今代の失敗は側室を迎えてしまったことだろう。
「やっぱり、何か結婚や出産に関して加護か制約を与えるべきかしら」
下界を眺めつつ、結婚と出産の神ウィラーダは呟いたのだった。
エピローグ 国王と王妃と第一側室
5人の王子のうち3人が試験に不合格となった事実に国王ザイームは溜息をついた。
王女4人は全員試験に合格し、それぞれ降嫁先も決まり、婚約者とは良好な関係を築いている。試験に合格した第一王子と第二王子も同様に、兄弟仲もよく、伴侶との関係も良好だ。
合格出来なかった3人の王子は国王にとって不本意な関係の下に生まれた子供たちだ。他の6人と同様に愛情を注ぎ、接してきたつもりではあったが、やはり愛妻である王妃サダーカと信頼する第一側室ミサークの子らに較べれば、蔑ろにしていた部分はあるかもしれないと反省しきりだった。
ザイームはサダーカと幼いころから婚約を結び、良好な関係を築いていた。政略で結ばれた婚約ではあったが、二人は互いに恋情を懐き、それはやがて愛情へと変わった。相思相愛の理想的な婚約者はやがて王国の安寧を齎す相思相愛の理想的な王太子夫妻となった。
しかし、そんな二人に悲劇が襲った。王国を流行り病が襲い、サダーカが罹患した。そして生死の境を彷徨ったサダーカは命を繋ぎとめた代償として、子を望めなくなったのだ。
年老いた先の侍医に変わり着任したばかりの宮廷侍医にその診断を告げられた時、ザイームは王太子位を辞することを決意した。王位は既に後継を得ている弟に継がせればいい。
しかし、数々の試験に合格していたザイームは理想的な国王となると見做されており誰もが彼の即位を望んだ。サダーカは離縁し、子を得られる妃を娶るべきだとザイームを説得しようとした。けれどザイームは頑なにそれを受け入れなかった。
そんな時に某伯爵から側室を娶ってはどうかとの提案が為された。サダーカは王太子妃として国民に慕われているし、ザイームにとってはかけがえのないパートナーだ。だったら王家の血を繋ぐためと割り切り、側室を迎えてもいいのではないか。子を望めぬ王太子妃に閨は負担になるだろう。王太子の欲を吐き出すためにも王家の血を繋ぐためにも側室は必要だと。
これには様々な貴族家が賛同した。これまでの国王は側室を娶ったことはない。けれど、王家の血を繋ぐためには必要な措置だ。側室は次代の王を産む。それはつまり外戚として権力を持てる可能性が生まれたということだ。
そうして選ばれたのがミサークだった。ミサークは最初に側室を提案した伯爵の娘である。娘を側室にするために提案したのだろうが、その程度の下心はどの貴族にもあるから特に問題視はされなかった。
しかし、ザイームがミサークを選んだ理由はサダーカからの推薦があったからだった。ミサークはサダーカの学院時代からの友人だったのだ。彼女であればザイームを任せられるとの確信があり、サダーカはミサークを側室にと望んだのだった。
ミサークが側室となってから3か月後にはミサークは妊娠した。妊娠しやすい日を選んでの房事だったため、結果が出るのは早かった。そして第一王子カサムが生まれた。
だが、この時には既に王宮侍医とミサークの父伯爵の罪が暴かれていた。ミサークの懐妊から半年後、王太子妃サダーカが子を宿したのである。たとえ子が出来ないとしても愛し合う二人が閨を共にするのは当然だった。そして、その愛は実を結んだのである。
当然、サダーカが妊娠できない体になったと告げた王宮侍医は取り調べを受けた。その結果、ミサークの父伯爵に買収され、虚偽を告げていたことが判明した。
全ての罪が暴かれたころ、サダーカは第二王子カルフを出産した。正当な王位継承者が生まれたのである。
父の罪を知り、王位を継承するサダーカの子が生まれたことに安堵したミサークは、己と父に毒杯を賜るよう願った。王家を謀ったのだ、それが妥当だと。第一王子に関しては王籍から抜き、神殿に預けるように進言した。
しかし、王太子妃サダーカはそれを拒んだ。第一側室であるミサークはサダーカの良き相談相手であり、夫であるザイームとはまた別の意味での心の支えとなっていた。そんな彼女を死なせることなど出来なかった。
結局、サダーカの不妊を偽りはしたがそれを真実にするために薬を盛ったり害しようとはしていなかったので、罪は多少減じられた。ミサークの父は強制隠居し、ミサークの兄が爵位を継いだ。侍医は医師の資格を剥奪され、王宮侍医を解雇された。表沙汰にすれば様々な影響の大きい事件だけに、内々に処理されたのだった。
だが、この側室の存在はカヌーン王家に余計な面倒を招くことになった。それが第二側室だ。隣国の押し付けによりなし崩し的に第二側室を認めることになり、国王ザイームのうっかりにより愛妾まで作ることになってしまった。
幸いにしてカヌーン王家の特殊な試験制度のおかげで愚かな王子たちは排除出来たが、この世代の混乱の原因は全てザイームの間抜けさによるものだと守護神たちは確信していた。
そして、如何に婚姻に制約を設けようとも、結局後嗣の問題が解決しないことには円満な一夫一婦制は維持できないのではないかと神々は考えた。
元々カヌーン魔導王国の副主神ウィラーダは結婚と出産の神であり、一夫一婦制を望んでいる。だから、カヌーン王家で初めて側室を娶ったザイームには不満があった。けれど、側室を娶る原因となったのは後嗣を得るためだ。
ならば、国王・王太子・貴族家当主(次期当主も含む)夫妻には確実に子が生まれ、成人するという加護を授ければいいとウィラーダは考えた。そうすれば、後嗣問題で側室を求めたり離縁して再婚するなんてことも防がれる。ウィラーダの望む一夫一婦制での長く円満な夫婦関係構築が可能になるはずだと女神は考えた。
国王ザイームの治世の終盤、カヌーン魔導王国の王家及び公爵家には加護が与えられた。それは夫婦の間には必ず1人以上の子が生まれること。その子供は健やかに成長し、成人すること。更に両親の美点を受け継ぎ、家門の固有魔法を継承すること。
王家と6公爵家に限定された加護とは言え、この加護によりアクバラー王国時代に起こった様々なトラブルの多くが回避されることになったのである。
この加護を知った特殊法監督局では『うちの守護神様たち、過保護じゃね?』なんて会話が交わされたとか。
ともあれ、法律が多く王家に試験が多いカヌーン魔導王国は、過保護な年若い神たちの実験場的な加護与えられまくりな国となり、長く続いていくのである。