第6話 これにて大団円ですの!
ある日のこと。わたくしは、次の授業まで少し時間がありましたので、校舎の外を歩いておりました。
お天気もよく、庭園の花もきれいに咲いております。学院というところは、お勉強だけでなく、こうした景色も楽しめるのがよろしいですわね。
そんなことを考えていたところ、突然、目の前に一人の少女が立ちはだかりました。
「あんたがなんかしたんでしょ!」
……はい?
わたくしは、思わず瞬きをいたしました。
目の前にいるのは、マノン・ボルド嬢です。お名前は存じております。原作のヒロインですもの。けれど、まともにお話をしたことはございません。わたくしから嫌がらせをした覚えも、勿論ありません。
「……何のお話でございましょう?」
「とぼけないでよ! シルヴェストル様はあたしと結ばれるはずなのに、あんたが邪魔してるんでしょ!」
まあ。わたくしは、内心で首をかしげました。シルヴィ兄様とマノン嬢が結ばれるはず?
そのような予定は、わたくしの知っている原作にはございましたけれど、現実ではもう婚約しておりますのよ。
そして、その婚約が成立するまでに何があったかといえば。
(したのは大人たちですの。わたくしは予言書を作っただけですのよ)
お父様とお兄様たちが反対し、国王陛下がシルヴィ兄様を支え、10年もの交渉を経て、漸く皆様が納得なさったのです。わたくしが何かを企んで、マノン嬢の恋を邪魔したわけではございません。
そもそも、シルヴィ兄様は最初から、ずっとわたくしを大切にしてくださっていました。
「マノン様。わたくし、あなたに何かをした覚えはございませんけれど……」
「嘘よ! あんたがいるせいで、何もかもおかしくなってるの!」
「ですが、わたくしは……」
「だいたい、どうしてあんたばっかり!」
マノン嬢は、わたくしの言葉を聞こうとなさいません。
周囲には、他の生徒たちもおります。皆様、何事かと足を止めて、こちらを見ていました。わたくしは、騒ぎを大きくしたくありませんでした。
マノン嬢が何を仰りたいのかは、よく解りません。けれど、ここで言い争っても仕方がないでしょう。
「……申し訳ございませんが、わたくし、次の授業がございますので」
そう申し上げて、わたくしはその場を離れようといたしました。ところが、マノン嬢は更に近づいてきました。
「逃げるの? やっぱり、あんたが何かしたんでしょ!」
「マノン様、少し落ち着いて……」
「うるさいわね!」
近いですわ。わたくしは驚いて一歩下がりました。その拍子に、足が地面の僅かな段差に取られました。
「あっ……!」
身体が傾きます。
支えようと手を伸ばしましたが、間に合いません。わたくしは、そのまま地面に転んでしまいました。痛みよりも、突然のことで驚いた気持ちのほうが大きゅうございました。
マノン嬢に突き飛ばされたわけではありません。けれど、威圧するように詰め寄られ、逃げようとしたところで足を取られたのです。
「フランシーヌ!」
聞き慣れた声が、すぐ近くから響きました。
え? どうして、ここに?
わたくしが顔を上げるより早く、誰かが駆け寄ってまいりました。
「フランシーヌ、痛いところはないかい?」
シルヴィ兄様でした。わたくしの身体をそっと抱き起こし、怪我がないか確かめてくださいます。
「大丈夫ですわ、シルヴィ兄様。ちょっと驚いただけですの」
「本当に? どこか打っていないかい?」
「はい。大丈夫ですわ」
シルヴィ兄様は、まだ心配そうなお顔をなさっていました。
そのすぐ後ろから、ラザールお兄様が近づいてきます。更に、ユルリッシュお兄様とマティアスお兄様までいらっしゃいました。
……ええと。なぜ、皆様そろっていらっしゃるのでしょう?
ユルリッシュお兄様は、式部省の官僚として学院の教育制度や運営状況を確認するため、視察に来ていたそうです。マティアスお兄様は、ちょうど近くまで用事があり、わたくしの顔を見に立ち寄ったところだったとか。そこへ、もともと学院にいたシルヴィ兄様とラザールお兄様が加わったのです。
偶然とはいえ、何という顔ぶれでしょう。
「フランシーヌ。いったい何があった?」
ユルリッシュお兄様は、わたくしの様子を確認してから、周囲を見渡しました。
驚いて立ち止まっている生徒たち。そして、目の前で青ざめているマノン嬢。状況を把握しようとするその目は、いつものように冷静です。
一方、マティアスお兄様は、わたくしが転んだと知るなり、マノン嬢へと向き直りました。
「君が、フランシーヌに何かしたのか?」
「ち、違うわ! あたしは何もしてない!」
マノン嬢は、慌てて答えました。
「フランシーヌが勝手に転んだだけよ!」
「勝手に?」
マティアスお兄様の声が、低くなりました。
「では、転ぶ直前に何があったのか、説明してもらおうか」
「それは……」
マノン嬢は言葉に詰まりました。その間に、ラザールお兄様が周囲の生徒たちへ声をかけました。
「この場にいた者は、見たことをそのまま話してほしい。憶測ではなく、事実を確認したい」
護衛隊長として、王族やその婚約者に関わる問題を放置するわけにはいきません。ましてや、王族の婚約者である公爵令嬢が、学院内で騒ぎに巻き込まれたのです。但し、ラザールお兄様は、その場でマノン嬢を罰すると宣言するようなことはなさいませんでした。
まずは事情の確認です。ユルリッシュお兄様も、目撃した生徒たちに順番に話を聞き、何が起こったのかを整理していきます。
「フランシーヌ様は、穏やかにその場を離れようとしておられました」
「ボルド嬢は、大きな声でフランシーヌ様を責めていました」
「かなり近くまで詰め寄っていたと思います」
証言は、少しずつ集まっていきました。
シルヴィ兄様は、わたくしの手を取り、もう一度確かめるように仰いました。
「本当に痛いところはないんだね?」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ございません」
「あなたが謝ることではないよ」
その声は優しいものでしたけれど、わたくしを見つめる瞳には、心配と緊張が残っていました。
マノン嬢は、まだ何か言いたそうにしていました。
しかし、周囲には学院の関係者も集まり始めています。そして、話を聞くうちに、今回の件は、突然起きた一度きりの口論ではないことも判ってきました。
以前から、マノン嬢の言動について、複数の生徒や関係者から報告が上がっていたのです。
王族に対する不適切な呼びかけ。他の生徒への不用意な発言。フランシーヌに関する誹謗中傷。
これまでは個別に注意されるに留まっていたものもありました。けれど、今回の一件によって、学院は正式に事情を調査する必要に迫られました。
わたくしは、皆様の様子を見ながら思いました。……やっぱり、大人の方々がいらっしゃると安心ですわね。
マノン・ボルドに対する調査は、学院と王家の関係者によって進められた。
問題となったのは、フランシーヌが転んだという事実だけではない。王族に対する無礼な接触。学院内での規律違反。フランシーヌに対する誹謗中傷や、周囲の証言によって確認された問題行動。
それらを一つずつ確認し、関係者から事情を聴いたうえで、処分が検討された。転倒したという結果だけで、ただちに傷害の責任が決まるわけではない。
しかし、だからといって、それまでの行動までなかったことには出来ないのだ。
学院は教育機関だ。生徒同士の問題を放置してよいわけではないし、王族や高位貴族の立場を利用した無礼な振る舞いを、見過ごすこともできない。
調査の結果、マノンには王都所払いと、ベロワイエ公爵領への立ち入り禁止が言い渡された。これまでの言動を踏まえれば、やむを得ない処分だった。
マノンは、最後まで納得していなかった。
「どうして、あたしがこんな目に遭わなきゃいけないのよ!」
彼女にとって、自分は物語のヒロインだ。シルヴェストルと結ばれるはずの存在であり、困難を乗り越えれば幸せになれるはずの人物だった。だからこそ、周囲が自分の行動を問題視する理由が、どうしても理解できない。自分が何をしたのかを振り返るよりも、原作どおりに進まない世界のほうが間違っていると思ってしまうのだ。
そんな娘を見て、マノンの家族も、ついに決断した。
「こんな暴走馬車、野放しにはできません」
家族は、マノンを見捨てたわけではない。寧ろ、これ以上問題を起こさせないために、自分たちも一緒に王都を離れることにしたのだ。マノン一人を遠ざければ、また別の場所で同じことを繰り返すかもしれない。そう考えたのだろう。
家族とともに王都を去ることになったマノンは、それでも最後まで、自分が原作のヒロインであることを疑わなかった。
自分の望んだ恋も、待ち望んだ事件も、何一つ起こらなかった。そして最後には、物語の中では味方になるはずの人々から、厳しい判断を下されてしまった。
けれど、誰も彼女のために、望んだ展開を用意してはくれなかった。現実の世界には、物語の筋書きよりも、守らなければならない規則と責任があるのだ。
事件が片づいたあと、わたくしは家族と一緒に過ごしておりました。お父様は、学院で起きたことを聞いて、たいそう心配してくださいました。
「フランシーヌ。学院で何か困ったことがあれば、すぐに知らせなさい」
「はい、お父様」
「我慢する必要はないからな」
「まあ。わたくし、ちゃんと皆様に相談いたしますわ」
マティアスお兄様も、いつも以上にわたくしを甘やかしてくださいました。ユルリッシュお兄様は、学院側の対応が適切だったかを確認し、再発防止のために必要なことを整理しておられます。ラザールお兄様は、シルヴィ兄様と相談しながら、わたくしの周囲の安全に問題がないかを確かめてくださいました。
そして、お母様はというと。
「フラン。転んだときに、どこか擦りむいていない?」
わたくしの手や膝を、丁寧に確認しておられました。
「大丈夫ですわ、お母様。本当に、少し驚いただけですの」
「そう? でも、念のためにきちんと見ておきましょうね」
お母様は、わたくしが安心できるように、優しく微笑んでくださいました。
王后陛下も、この件を重く受け止めておられました。学院における礼儀や規律、王族やその婚約者に対する接遇について、必要な改善を求められたそうです。これで、同じような問題が起きる可能性も、少しは減るでしょう。
わたくしは、皆様のお顔を順番に見つめました。
予言書を作ったのは、わたくしです。けれど、災害に備えて国を動かしてくださったのは、お父様や国王陛下をはじめとする大人の方々。
10年ものあいだ婚約交渉を続け、最後には皆様を納得させてくださったのは、シルヴィ兄様と国王陛下。
そして、今回の問題を事実に基づいて処理してくださったのも、家族や王家、学院の関係者の皆様です。
わたくし一人では、きっとここまで出来ませんでした。いえ、そもそも、わたくしは大変なことを自分で全部やりたいわけではございませんの。
出来ることなら、信頼できる方々にお任せして、安心して暮らしたいのです。その点、わたくしの周りには頼りになる方々がたくさんいらっしゃいます。
「うふ、やっぱり大人は頼りになりますの!」
わたくしがそう申し上げると、シルヴィ兄様が嬉しそうに微笑みました。
「勿論だよ、フランシーヌ。これからも、あなたが安心して暮らせるように、私も力を尽くすからね」
そして、そっとわたくしの手を取ります。
「あなたが望む限り、私はずっとあなたの側にいるよ」
「まあ。では、月に20回の里帰りもお忘れなく、ですわ!」
シルヴィ兄様は、楽しそうに笑って頷きました。
「勿論。約束するよ」
その言葉を聞いて、わたくしも笑顔になりました。
お父様も、お母様も、お兄様たちも、国王陛下も、王后陛下も。そして、わたくしの大好きなシルヴィ兄様も。これからも、きっとわたくしを大切にしてくださるでしょう。
原作の悲劇は起こりませんでした。
わたくしは家族に愛され、婚約者に大切にされ、安心して未来を迎えられます。
ですから、これからも無理はいたしません。頼れる方々には、しっかり頼る。
わたくしは、皆様の愛情に包まれながら、幸せに暮らしていくのですわ!
――こうして、わたくしの物語は、幸せな結末を迎えたのでした。